香港啓徳国際空港の思い出

私が好きな街のひとつに香港があります。特に中国への返還前の90年代は度々足を運びました。香港を訪れる楽しみのひとつに、かつての香港啓徳国際空港(Hong Kong Kaitak International Airport)へのスリリングな着陸がありました。

98年の夏までは、香港の空の玄関である啓徳国際空港は九龍市内にありました。九龍の中心部とは目と鼻の先のため、空港に着陸する旅客機はビルの屋根をかすめるようにスリリングなアプローチを行っていました。乗客もアパートに干された洗濯物が間近に見えるほどの景色に驚いたものです。

写真は1998年6月末、香港啓徳空港が閉鎖になる直前にボーイング747−400の操縦室から撮影したものです。

香港にも啓徳空港にも思い入れがある私としては、自分にとって最後の着陸を操縦室から体験したいと思いました。さらにマイレージをこの時ばかりは奮発してファーストクラスを予約しました。思い入れの深い啓徳空港への着陸納めで、私なりの「有終の美」を飾りたかったのです。
 

知り合いの機長にお願いして、成田の離陸と香港の着陸時に操縦室への入室許可証をもらい、パイロットの後ろのジャンプシートでヘッドセットをつけて無線交信を聴きながら離着陸の一部始終を体験することができました。


 いつもの通り、10時30分成田発のJAL731便、機体番号JA8912は香港島の南側からIGS誘導電波に乗ってアプローチを開始しました。


  左手に巨大なチェッカーボードが見えるあたりで目視で右バンクを取りながら滑走路13へ。
かつて知人の機長が、うまいパイロットは後ろから見ていると何もしていないように見えるものだと言っていましたが、確かにこの時の機長も後ろから見るとほとんど動きが感じられませんでした。着陸誘導電波が使えないファイナルアプローチの際に行う「フライトディレクターのリセット」という裏技を副操縦士が実行することも確認できました。
 大きなバンクで機体をねじり込ませるようなファイナルにもかかわらず、滑走路に吸い寄せられるような見事なアプローチと着陸は流石だと思いました。


 ところで、香港島の西側を飛行中にまだ空港が遠くに見えるあたりで、機長は副操縦士に「あの辺りで雨に当たるからワイパーを用意しておくように。」と空港付近を指差していました。
 機長の予想通り、その場所で雨滴がいきなりバサッと窓に当たり、この写真も副操縦士がワイパーのスイッチを入れた際の写真です。

ボーイング747のワイパーのスイッチが、機長側と副操縦士側で別々になっていることをこの時初めて知りました。

翌日は空港付近で啓徳空港へのアプローチの撮り納めをしましたが、雷鳴が轟く土砂降りにも関わらず、カメラを持ったギャラリーが沢山集まっていたのには驚きました。

振り返ると、私が初めて香港啓徳空港に降り立ったのは、1982年2月初旬、今はなきパンナムの世界一周便(PA002)でロンドンに向かう際のトランジットでした。 そして翌3月下旬に、今度はロンドンからフランクフルト経由で帰国の際に、逆回りのPA001便で立ち寄りました。条件が揃わないと許可されない、ビクトリア湾を突っ切るハーバービューアプローチを運良く体験しました。ハーバービューアプローチは後にも先にもこの1回だけでした。

啓徳空港はランウエイ13へのアプローチはスリリングな上、街にも近いのでお気に入りの空港だっただけに、新空港になって少々魅力が薄れた思いです。

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