誕生日に思うこと

皆様こんにちは。

 おかげさまで5月13日に67歳の誕生日を迎えさえていただきました。

 皆様からの温かいメッセージと、日々のご指導ご鞭撻に心からの感謝を申し上げます。 

 ポルトガルのリスボンで生活するようになってから、5年半が経過しました。5月はジャカランダが開花する季節で、本格的な観光シーズンが始まる時期です。

 温暖な気候と美味しい食べ物、豊かな自然環境、そして何よりもポルトガルの人たちの心の温かさと優しさに日々感謝する毎日です。

 家族の結束を大切にし、地域社会のつながりが強いリスボンでの生活は、私が物心ついた昭和30年代の東京を思い出します。4月25日にはポルトガルが独裁政権を無血革命で終わらせてから50周年を迎えました。

 ポルトガル人の優しさと親切さの背景にあるのは、歴史の中で培われた市民社会におけるパブリックの概念ではないかと常々感じる次第です。我が身のみならず、社会全体の利益を向上させることで自身も豊かになる共存共栄の生き方は、日々の生活の中から実感致します。

 イースターの時期などに食事会に招かれても、デザートの時間になると政治談義で白熱の議論が展開されることに驚くことしばしばです。政治や宗教の話題をなるべく避けるようなことなく、買い物に行った先のお店のご主人やUBERのドライバーとも政治や選挙の話になることもめずらしくありません。

 そして国の平和と安定を願う心の根底には、カソリックの伝統が漂っているのを意識せざるを得ません。

  欧米では昔ほど教会に通う人は多くはありませんが、社会の根底には神への畏敬の念が常に漂っていることを感じます。 日本においても宗教という概念が明治以降になって西洋から入ってくる以前より、神道の存在によりお天道様を畏れ敬うことが、日本人の生き方の根底にあったと思います。

 その一方で宗教的な意味合いに限ったものではなく、人知を超えた存在としての神を畏れることは、混迷を極める現代社会において極めて重要なことではないかと考える次第です。  

 さらに私はポルトガルが親日的な国であることを知り、先人の築いた功績に日々感謝しています。 

 一例としてブラジルに移住した日本人の偉大な功績により、ブラジルからの移民の多いポルトガルでは日本人の評判は極めて高いのです。

 元々ポルトガルは人種差別が事実上皆無の国ですが、特に日本人とわかると現地の人がより親密に接してくれるのがありがたいです。ブラジルで話されるブラジルポルトガル語には「ジャポネス・ガランチード(japones garantido)」という言い回しが あるそうが、有難いことに、「日本人なら信用できる」という意味だそうです。 

  今でも海外における日本人の信用は高いものと確信していますが、その一方で日本の国体が急速に崩壊しつつあるのを感じざるを得ません。 

 優秀な国民により支えられている日本という国家が再び世界から尊敬の眼差しを集めるには海外にお金をばら撒くことでも、相手の要求を何でも受け入れたり媚びへつらったりすることでもありません。相手の立場を思いやると同時に、主張すべきとことは主張し、日本人の遺伝子に刻まれた本来の武士道精神を貫くことにあると思います。

 ちょうどコロナの感染拡大が始まる前の年、私はポーランドのワルシャワから成田までLOTポーランド航空に乗りました。その際に、日本語が上手なポーランド人のスチュワーデスがいたので聞いてみたら大学で日本語を学んだとのこと。その後、ポーランドがヨーロッパ最大の親日国であることを知りました。

 ポーランドにおいてはロシア革命の際、シベリアで孤立したポーランド孤児を救ったことが日本への尊敬と信頼を決めました。ポーランドと歴史的なつながりの強い欧米諸国ですら孤児の引き取りを拒否したにも関わらず、当時の原敬首相はただちに閣議を召集し「帝国政府は申し出を応諾す」という驚くべき回答をポーランドに返したのです。

 ポーランドの孤児がウラジオストクから敦賀、さらに大阪の赤十字阿倍野病院に到着したことが新聞で報じられると、山のような衣服、玩具やお菓子が送られて来たそうです。

 原敬は戊辰戦争で敗軍の南部藩に生まれたことで、親を失い泣き叫ぶ孤児たちの姿が脳裏から離れなかったとのこと。欧州の戦乱が収まり、孤児たちが返され、日本で受けた手厚い看護と歓迎がポーランドに伝わるや、全土に日本への感謝と熱狂が起こりました。この時、松澤フミ看護婦は腸チフスで絶命しました。

 母も姉も失い、しかも凍傷で手足を失った女児(当時3歳)には、自分が代わりになるといい常に付き添い、そのために女児は助かったものの、女児が罹っていた腸チフスがうつり23歳で殉職したのです。松澤フミは1921年、ポーランドから赤十字賞を、1929年には名誉賞も贈られました。

 ボーランド極東委員会のヤクブケヴィッチ副会長は、手紙でこう謝辞を述べたとのことです。

 「日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。

 われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。

 ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。

日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。ここに、ポーランド国民は日本に対し最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい。」

 原敬、松澤フミ、そしてリトアニアでポーランドなどから避難してきたユダヤ人などに大量のビザを発給した杉原千畝、トルコのエルトゥール号の乗客乗員を救助した日本の島民、最近ではアフガニスタンで偉業を成し遂げた中村哲など、偉大なる先人により日本は国際的な尊敬と信用を得てきました。

 中村哲氏においては、他国の大統領が葬儀の際に日本人の棺を担ぐという光景に、驚きそして涙しました。

 現代の日本においては、かつて武士道によって培われた精神と行動力を持ったリーダーが国政を担っておりません。その中で少数の本物の政治家が、国民の利益のために日夜身を粉にして活動されています。さらに国民の知る権利という民主主義の根幹をなすものを支える報道の自由が奪われているのが現状です。 

 独裁政権下のポルトガルを知る私と同世代の友人によると、当時はテレビや新聞からは世の中で何が起きているのか全くわからなかったとのことでした。

 今の日本と世界がまさにその状況で、日本においては先ごろ発表された世界の報道の自由度のランキングで何と70位とのこと。

  政府や大手マスメディアが発信する情報を頭から信じることなく、自ら情報を集め考え行動する必要性を、今こそ私たち国民は求められていることを痛感する次第です。

 そして利益誘導型の政治構造から脱却して、弱者を救済し、日本全体をよくする政治家を国民は選挙で選ぶべきです。 

 ポルトガルでの生活により、生産性や経済的合理性を高めることや国家のGDPを向上させることが、必ずしも人の幸せに結びつくわけではないことを実感しました。平和について大それたことを考える前に、身近なところから人様のお役に立つことを実行することの積み重ねが、社会を豊かにすることも改めて学びました。

 最後に申し上げたいことは、私は海外に住むようになって、日本人に生まれたことの感謝と誇りをより強く意識するようになったことです。そして日本語が世界でも類まれな優れた言語であることを改めて認識致しました。 

 それだけに、日本がその尊い文化と伝統に基づく誇り高き国家に再び元還りすることを切に願う次第です。とりわけ豊かな自然環境を生かした農業国に再び生まれ変わってほしいと日々願っています。

 日本にお住まいの皆様方並びに海外にお住まいの皆様方、そしてポルトガルと日本という偉大な国家に重ねて感謝を申し上げさせていただきますと共に、今後とも変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。

      2024年5月13日         

            横井英夫

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