リスボンで変容した消費と豊かさの価値判断

 
 リスボンで生活するようになってから、消費に伴う豊かさに対して、その価値観が大きく変容しました。
 
 日本社会はまだまだモノの消費を重視する傾向が強く、消費による生活の質の向上を志向しているように思います。これは多くの発展途上国でも見られる現象で、欧州の成熟した社会においては、モノと消費による幸福の追求に限度があることを気づいているのではないかと思います。

私自身、リスボンに来てから物欲が急速に減衰し、日々の生活に求める対象が大きく変化しました。
 
 すなわち経済的合理性や生産性の向上だけが人や社会の幸福に寄与するわけではなく、消費生活は人の営みの一部であり、それが人生に占める割合はさほど大きくないということを早い時期に気づいたのが欧州であるように思います。

 経済的合理性や生産性の向上は、国家や資本家の利益に寄与することはあっても、市民生活にどれほどのプラスになるかについて、欧州は肌感覚で気づいているように思います。

 東京で慣れてきた合理性の尺度で考えると、リスボンには不合理なことがたくさんあります。しかし私が日本で慣れ親しんできた合理性を巨視的な視点で眺めた時、人や社会の豊かさには経済的合理性とは別の尺度が求めれることに気づきます。

 経済的には非合理的なものを残しておくことで、生活の豊かさや満足度が保たれればそれをよしとする価値判断こそが欧州の成熟した社会の真髄ではないかと思います。

 これまでリスボンで訪れたカフェやレストランで、オレンジを缶や瓶詰めのジュースで提供するお店は数えるほどしかありませんでした。その都度オレンジをジューサーで絞って出す店がほとんどです。搾りたてのジュースであれば、おいしいだけではなく安心して飲める上、缶詰や瓶詰めにするための社会資本や人手が不要になります。そのリソースを手作りによる手間に変換することで社会は経済的観点とは別の豊かさを生み出すことができます。

 日本人は食べ物の話が好きな国民です。メディアを通じたグルメ情報が驚くほど盛んです。その一方で日本ほど農薬や食品添加物や野放しの国はありません。

 こうした偏った価値の追求は決して人や社会の幸福を生み出すことはなく、医療費の増大のみならず、人を決して幸福にすることはないでしょう。

 日本は経済大国にはなりましたが、社会の成熟度を考えるとまだまだ発展途上国の域を出ていないように思います。

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