神は人に乗り越えられな苦痛はお与えにならないという言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。私は難病で苦しみと不安に陥った会社の後輩に、この言葉を伝えたことがあります。
「日は昇り日は沈む」 これは旧約聖書第1章1~8節のコヘルトの言葉にある一文です。アーネスト・へミングウエイの「日はまた昇る」やミュージカル屋根の上のバイオリン弾きの「サンライズサンセット」の由来はここにあると言われています。
同じく伝道者3章にはこんな名文があります。
1 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3 殺すに時があり、いやすに時があり、愛するに時があり憎むに時がある。すべてのわざには時がある。
4.泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
5.石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、・・・・・
私はこの言葉に、ユダヤ教、あるいはキリスト教という一神教の正典のものとは思えない、東洋的な無常観、そして仏教的な縁起の思想を感じます。
いかなる困難においても、日は昇りまた日は沈む無常の縁起の一通過点にすぎません。そしてそれは日が昇る前のひとつの出来事ととらえることができます。。
夜明け前は最も暗いですが、そこには明けの明星、すなわちビーナス(金星)を見ることが出来ます。
人や国家が苦難の歴史を歩んだ末、ビーナスが夜明け前の空に輝くのです。
いにしえの航海や洋上飛行では夜間、天空の星を信じて到着地を目指しました。
ひとりひとりが諦めずに前に進み、志ある者が結束すれば平穏な日々を取り戻すことができるのです。
我々が恐れなくてはならないのは苦難ではなく、目的地に向かう希望をすててしまう虚無的な心だと思います。
「あきらめない」
私の座右の銘でもあります。
「あきらめない」
多くの先人の言葉通り、成功とはあきらめないことにあるのです。
言うは易しであるが、そこには強靭な意思だけでなく、未来への希望の火を灯し続けることが求められと思います。
最後に私の好きな、ギヰ・シャルル・クロスの「譫言」(上田敏訳)の一文を引用させていただきます。
むしろ我は大風の中を闊歩して
轟き騒ぐ胸を励まし
鶫鳴く葡萄園へ導きたい
沖の潮風に胸開くとも
葡萄の酒に酔はうとも・・・ ・・・・・
さあ、希望への航海に乗り出しましょう。
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