旧知と面会するために2022年10月1日より8日までスペインのバルセロナに滞在しました。
その間、アントニ・ガウディの作品を10箇所ほど見学致しました。
アントニ・ガウディの代表作であると共に、人生最後の1年は彼にとっての住居でもあったサグラダ・ファミリア。
ガウディ没後100年の2026年に完成予定でしたが、新型コロナによる工事の遅れと資金調達への影響により、完成は遅延すると予想されています。
サグラダ・ファミリアの彫刻を統括するのは日本人の外尾悦郎氏。欧州の代表的な建築物を日本人が手がけることにスペイン国内では当初批判的な見方が強かったものの、今ではその卓越した才能にスペイン国内で絶賛されているとのこと。
サグラダファミリアで欧米人が「ソトオ」という名前を口にするたびに、日本人として誇らしい気持ちになります。
母と他の兄姉すべてを亡くし、一時は人生に絶望し神の存在まで疑うようになったガウディの人生が一変したのはサグラダ・ファミリアの設計に携わり、カソリックに深く傾倒していった時期だと伝えられています。
極貧家庭に生まれ、幼い頃は身体が弱くロバで学校に通い、そして亡くなる前の1年は無報酬で教会に寝泊まりし、教会に通う途中で路面電車に轢かれて3日後にこの世を去ったアントニ・ガウディ。
路面電車に轢かれた際は、衣服のあまりのみすぼらしさに浮浪者と間違えられたとのことですが、葬儀には3万人ものバルセロナ市民が参列したとのことです。
外尾氏が出版社のインタビューで次のように語っています。
「私は長らくサグラダ・ファミリアの職員ではなく、一回一回、契約で仕事をする請負の彫刻家でした。教会を納得させる作品ができなければ契約を切られる可能性がある。命懸けという言葉は悲壮感があってあまり好きではありませんが、でも私自身としては常に命懸け。というのも命懸けでなければ面白い仕事はできないからです。
ただ本来は生きているということ自体、命懸けだと思うんです。戦争の真っただ中で明日の命も知れない人が、いま自分は生きていると感じる。病で余命を宣告された人が、きょうこの瞬間に最も生きていると感じる。つまり、死に近い人ほど生きていることを強く感じるわけで、要は死んでもこの仕事をやり遂げる覚悟があるかどうかだと思うんです。
この34年間、思い返せばいろいろなことがありましたが、私がいつも自分自身に言い聞かせてきた言葉がありましてね。
「いまがその時、その時がいま」
というんですが、本当にやりたいと思っていることがいつか来るだろう、その瞬間に大事な時が来るだろうと思っていても、いま真剣に目の前のことをやらない人には決して訪れない。憧れているその瞬間こそ、実はいまであり、だからこそ常に真剣に、命懸けで生きなければいけないと思うんです。」
この文章を読んだ時、ガウディの人生に重ねざるをえない気持ちになりました。
サグラダ・ファミリアは今回8日間のバルセロナ滞在中に2度訪問しました。
私が感じたのは、ガウディの純粋無垢な心と自然崇拝、そして人と自然に対する超越した洞察力と深い愛でした。
ガウディが見ていた理想の社会 | ETSURO SOTOO | TEDxNihonbashi
コメント