苦痛からの救い 〜 多幸感と老年的超越について 〜

感覚は正常で意識は鮮明、しかし眼球運動とまばたき以外のすべての随意運動が行えなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)よる閉じ込め症候群の患者4人に、「生きていて幸せか?」という質問を投げかけたところ、3人が「生きるのが幸せで人生を愛している」という答が返ってきたそうです。

ひとりについては家族の意向で質問がされませんでした。ドイツのエバーハルト・カール大学テュービンゲンの神経科学者であるNiels Birbaumer氏が率いる研究チームが1999年から続けてきた研究成果で、雑誌ニュートン18年10月号もこの研究について触れています。

私は生きることが辛かった10代の頃、たまたま家のテレビから「大草原の小さな家」の台詞が聞こえてきた。恐らく妹が見ていたのではないかと思います。正確な言葉は覚えていませんが、ドラマの中の「父さん」が「世の中にはもっと辛い思いをしている人がいる。」と語る台詞でした。この言葉は私の心に大きく突き刺さりました。以来、辛いときにこの言葉を思い出すと、辛さは半減しました。

その後、瀬戸内寂聴さんが難病の悩みを訴える方に、「あなたの辛いのはわかるけど、世の中にはもっと辛い人がいるの。」というような慰めの言葉をかける場面に触れる機会があり、また思いを新たにしたのです。 その後10代後半に大きな肉体的苦痛を経験しました。その際に大学の同級生に「精神的苦痛と肉体的苦痛と比べたら、やはり究極は肉体的苦痛の辛さだだよね。」と尋ねました。彼の友人には精神的苦痛が肉体的苦痛を遥かに凌ぐと確信する体験をした人がいて、一概に言い切れないのではないかとの答がかえってきました。 

それ以来、私の人生のテーマに「苦痛」が加わりました。実に消極的なテーマではありますが、私にとっては幸福という言葉の曖昧さに比べれば、遥かにリアルで切実な問題でした。ちょうどその頃、映画「ジョニーは戦場に行った」が封切りになりました。反戦というテーマ以上に私にとっては、苦痛が前面に押し出された大変印象深い映画になりました。

その後難病筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病の存在を知り、こうした病にかかった方の心の内側はどのようになっているのか、どうしたら救えるのかが私にとって大きな関心時となりました。身近においても、会社の後輩が脊髄小脳変性症という類似した症状の難病に冒されたこともそれに拍車をかけました。結局彼を救う手立ては見つからなかったのですが、彼が人生の最後の数年を心安らかに過ごせたのだろうかということを思うと、今でも胸が締め付けられる思いがしました。 

そんな中で冒頭の研究を知ったことは私にとっての救いでした。これが万人にとっての真実であって欲しいとつくづく思います。そうであればご本人のみならず、ご家族にとってどれほどの救いであるか計り知れません。このような難病の患者さんが何故そのような境地に至るのか。そこでふと思い至ったのが「老年的超越」と呼ばれる現象です。百寿者を研究する大阪大学人間科学部の権藤恭之准教授による、「100歳の方を見ていると、体の健康と心の健康は必ずしも関係しない。」という驚くべき研究成果です。健康という言葉の定義はさておき、百寿者の多くが多幸感、つまり、ありとあらゆることに幸せを感じているというのです。 

このことは2014年10月15日(水)放送のNHKクローズアップ現代「“百寿者” 知られざる世界 ~幸せな長生きのすすめ~」でも取り上げられました。

以下番組紹介の記事から抜粋します。

大阪大学人間科学部 権藤恭之准教授「もし戻れるとしたら何歳ぐらいに戻りたい?」

足立峻さん(105)「やっぱり現在のままで。」

大阪大学人間科学部 権藤恭之准教授「今、自分の生活に満足していますか?」

足立峻さん(105)「はい、大満足です。」

大阪大学人間科学部 権藤恭之准教授「若いときと比べたら今の状態は良いですか?」

足立峻さん(105)「はい、今が大変幸せです。」 

身体的機能の低下にも関わらず、80歳を過ぎると今の暮らしを肯定的に捉える感情や人生への満足感が高まっていくことがわかったとのことです。ただし、その時点での生活環境が多少なりとも影響するようです。

冒頭の研究成果が老年的超越と何らかの関連性、類似性があるかどうかは私にはわかりません。そこで難病治療の研究とアンチエージング技術が進展することを期待しつつ、身体あるいは環境に依存しない多幸感についての研究も進むことを期待する次第です。 

私にとって「幸福」とはどこかつかみどころのない主観的な言葉であると共に、一方で老年的超越に見られる多幸感に、幸せの本質があるように思えてきた今日この頃です。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP