海外で感じた日本語の大切さ

リスボンに住むようになって感じたことのひとつに、日本人に生まれて良かったということと日本語が母国語でよかったということがあります。

 日本人であることに誇りを持てることは、先人並びに現代を生きる皆様のご尽力のおかげと、ここに改めまして感謝申し上げます。

 日本語に関しては、こちらでは日本語が通じませんが、発想や行動の基本に日本語で培われた思考力や決まり事があることを感じることが多々あるからです。

 日本では小学校から英語教育の必要性が叫ばれているようですが、昨今の日本語の乱れを見るにつけ、日本人は外国語より日本語をしっかり身につけることが大切だと思います。  

 先日、敬語を含め正しい日本語をしっかりと身につけられたバイリンガルのお子様をお持ちのお母様が、正しい日本語を身につけたお子様の方が外国語もよく習得されるとおっしゃっていました。

 日本語の乱れは、日本のニュース番組からも感じられます。2通りにも3通りにも解釈できるニュースのテロップや、かつてのニュース番組では絶対に使われなかった下品な言い回しなど、海外で日本文化と日本語の評価が高いだけに大変残念な思いが致します。

 特に日本語において特徴的な敬語の表現が乱れているのが気になります。自分の妻のことを人前で奥さんと呼んだり、自分の夫のことを人前で旦那と呼ぶ昨今の言葉の乱れを危惧する次第です。

 20歳を過ぎた大人が、自分の父母のことを、お父さん、お母さんと他者に向かって発する様に驚きます。

 私の世代だと、これを人様に向かって使ったら、父親から拳骨、母親からは長々とお説教だったでしょう。

 オフィシャルな場においても、ある日本企業に電話した際に、電話口に出た女性から「部長はもうお帰りになりました」と言われた時には仰天しました。 

 現代は知育一辺倒で、家庭教育と躾が疎かになっているように思います。そうだとしても、社員教育で敬語の使い方を学ばないのでしょうか。

 相手に通じばいいという方もいらっしゃるかもしれませんが、決まり事というのは言語以外においてその国の文化を支える重要な要素であり、人が人たる所以であると思います。

 洗練された心地よい会話を心がけることは、社会生活を送る上において非常に大切なことだと思います。 

 次にやたらとカタカナ外来語が多いのも気になります。

 特に新型コロナの感染拡大時に聞き慣れない外来語の乱立で戸惑った方も多いかと思います。

 行政から幅広い層の国民に向けてのメッセージのおいて、クラスター感染を何故集団感染と呼ばないのか、パンデミックを感染爆発と呼ばないのか、不思議でなりません。

 外来語を使うと教養があるように思われた時代はとうの昔に終わっただけに、単に国民を翻弄して煙に巻いているようにしか感じられませんでした。

 ついでに申し上げると数年前から流行り始めたエビデンスという言葉ですが、今まで通り証拠と言っては何故いけないのでしょうか。

 さらに遡るとソリューションという名のつく部署が各企業にやたらと増えた時代がありました。

 評論家の大宅壮一氏の駅弁大学という言葉を久々に思い出しました。

 流行り物に飛びつく、迎合する風潮がこのところやたらと目につきます。

 ついでに外来語の奇妙な短縮。コラボとかスクショ。原語とはあまりにかけ離れ、なおかつ知性の乏しさを感じざるを得ない音の響きを感じます。

 言葉においてより深刻なのは、かつてはタブーとされた言葉が普通に使われるようになったことです。

 「やばい」はかつて盗人などの隠語、「しかと(鹿十)」は賭博における無視の隠語でした。

 私にとっての極めつけは、昨今のニュース番組で「隣人ガチャ」などという言葉が平気で使われている現状です。地域社会やご近所付き合いに対して、当たり外れの表現を公の場で使う神経が理解できません。音の響きも気になります。

 かつて脳科学を学んだ際に、言語の抽象度はさほど高くない一方で、言語と言語空間が人生に与える影響の測り知れない大きさを知りました。

 昨今の日本がアダルトで成熟した文化から、お子様向けの軽薄な文化にシフトしつつあるように感じるのも、その理由の一つに言葉の使い方があるように思います。 

 お仕事などで外国語を使う一部の方を除いて、日本に住んでいて外国語が必要になる機会は非常に少ないです。 

 それが故に特に若い方は正しく美しい日本語をしっかり身につけることが大切だと思います。

 世界でも類まれな優れた言語である日本語を、これからも大切にしたいと思います。

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