臨床体験、死後体験、死後の世界

 1991年に立花隆氏が著書「臨死体験」を著し、さらに同名のNHKの番組が放映された際に、私は臨死体験と死後世界との関係に非常に興味を持つようになりました。


 この番組では臨死体験が死の直前に脳内で起きる現象なのか、あるいは死後の世界を示唆しているかについてはわからないという結論で終わったかと記憶しています。


 しかし後年立花隆氏は、最新科学の研究において心停止した後も脳がまだ活動していることなどを持って、臨死体験は脳内現象と結論づけています。

「私自身、若い頃は、死が怖かった」“臨死体験”を取材した立花隆さんが伝えたい、人間が“死んでいく”ときの気持ち 《追悼》立花隆さんインタビュー#1


 「僕は学生時代、何度も自殺したいと思ってたんです」立花隆さんが生前語っていた“死の哲学” 《追悼》立花隆さんインタビュー#2


 「葬式にも墓にもまったく関心がありません」80歳で逝去・立花隆さんが語っていた「理想の死に方」《追悼》立花隆さんインタビュー#3

 私は立花隆氏の調査、研究は評価に値するものですが、あまりに科学、唯物的な視点に偏りすぎているように思います。
 何故なら臨死体験のみならず、死後体験と呼ばれる脳の活動も停止した後に蘇生し、その時の体験を検証した事例があるからです。例えば体内の血液をすべて除去して行われた手術中に、自分の手術で医師が使った器具の形状を克明に語るような事例が少なからず存在するからです。
 従って仮に多くの臨死体験が脳内の現象だとしても、死後に意識が残存しないということは断定できないと思います。

 一方、立花氏は上記2つ目の記事の最後で、ヴィトゲンシュタインの哲学について触れています。そこではヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における言葉について語っています。

「語り得ぬものについては沈黙せねばならぬ」

 立花氏が「死後の世界はまさに語り得ぬものです。それが語りたい対象であるのはたしかですが、沈黙しなければなりません。」と結んでいるところは実に潔いと思いました。
  お釈迦様も死についてはノーコメントとしたそうです。 

 客観的な結論、とりわけ科学的な検証を求めないという前提でこの考察を進めるのであれば、人の意識ということに着目することがとりわけ重要ではないかと思います。
 肉体における完全な死(心停止、脳波の停止)においても意識があるのかどうかという点が重要になります。
  すなわち人の意識は肉体に依存しているのか、あるいは肉体がなくても意識は存在しうるのかということです。
  ロボットやコンピューターに意識が芽生えているかどうかは今のところは確認のしようがありません。 

 記事でも触れられているウィスコンシン大学の神経科学者ジュリオ・トノーニ教授の提唱する「意識の統合情報理論」によると蜘蛛の巣のように複雑なネットワークを持つシステムならどんなものにも意識が宿るとのことです。すなわち無生物でも意識を持つという理論で現在検証が進めれられているそうです。
 もし複雑なネットワーク上に意識が芽生えるとすると、「複雑なネットワーク」という物理的存在が前提になるとは思いますが、4次元(3次元プラス時間)を超えた情報空間には意識は存在し得ないのでしょうか。

 立花隆とは正反対の立場、すなわち死後の世界の存在を確信するのが、矢作直樹東大名誉教授とコメットハンター(彗星捜索家)の木内鶴彦氏です。
 立花隆氏が現代科学から臨死体験に迫ったのに対して、両氏は自らの体験を通して死後の世界を確信したと言えます。

三度臨死体験をした木内鶴彦さんと対談!
東大名誉教授が語る『この世の真理』とは?!

また Netflixの「死後の世界を探究する」も非常に興味深いストーリーでまとめられています。

死後の世界を探求する
 私は矢作氏や木内氏、そしてNetflixの番組に登場する人たちが非常に真摯に問題に向き合っている姿から、客観的な証拠は提示できないものの、死後の世界は存在するのではないかと考えています。
 今後、死後の世界の存在が何らかの客観的な証拠に基づき、人類の共通認識になったとした、人の生き方、社会のあり方は大きく変わるでしょう。
 それまでの間は、ひとりひとりがこの問題に向き合い、自らの生き方に取り入れていくということではないでしょうか。
 

 
 





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