日本航空123便事故の再調査を望む

 
 1985年は、日本でいろいろなことが起きた年でした。 グリコ・森永事件、豊田商事会長刺殺事件、阪神タイガースの優勝など。

 1985年8月12日、月曜日。あの日から38年が経過しました。私は前職の共同通信の大阪支社に赴任したばかりで、マンションの電灯工事が終わり、テレビをつけた途端、当時NHKの木村太郎氏が日航123便の墜落事故の速報を伝えていました。 

 お盆の時期に満席に近いジャンボジェットが羽田から伊丹に向かう途中で墜落するという悪夢のようなニュースに心底驚愕しました。 

 その前月の7月、私は日航機で東京羽田から大阪伊丹まで2往復しました。
 この4回のフライトの最初のフライトが午前7時羽田発、午前8時着伊丹着のJAL101便、ボーイング747SR、機体番号JA8119でした。私は当時搭乗した飛行機の登録番号をメモしていたのです。私にとってこれが最後のJA8119への搭乗になりました。

 当時の運輸省航空局の事故調査委員会の主張するシナリオは、1978年に発生した同機の大阪伊丹空港における尻もち事故の際の修理ミスにより、離陸上昇中に後部圧力隔壁の破壊が発生、それにより客室の空気が漏れて機内に急減圧が発生、それが垂直尾翼を吹き飛ばし、さらに4系統の油圧管が全て破壊されて操縦不能に陥ったというものです。

  私もしばらくはこの説を信じていましたが、事故後8年が経過した1993年の暮れに、「疑惑」(角田四郎著)を読んで以来、事故調査報告書の内容に強い疑問を抱くようになりました。

<< 事故調の主張する急減圧はなかった >>

 事故調査委員会が主張する垂直尾翼が吹き飛ばされるほどの急減圧(調査報告書によると約300,000 f t/s)が起きれば、客室の乗員乗客と備品を機外に吹き飛ばすほどの猛烈な突風が発生し、凍えるほどの冷気が襲うはずです。

 ところが乗客乗員は機外に吹き飛ばされるどころか、乗客が撮影した写真にはスチュワーデスが通路に立ち乗客が酸素マスクを装着するを手伝う姿が映っています。 
 座席のヘッドレストカバーも綺麗に装着され、さらに4名の生存者も猛烈な突風や凍えるような寒さについては一切語っていません。

 実際に急減圧が発生した際は、コクピットクルーは直ちに酸素マスクを装着し、与圧なしで人が生存可能な高度1万3000フィートまで緊急降下を開始します。急減圧時にコクピットクルーがマスクをひったくるようにして急いで装着するのは、自分たちが気を失っては乗客を救えないからです。

 ところがボイスレコーダーの音声は、マスクを装着した際に特有な音声は録音されておらず、コクピットクルーが酸素マスク装着に言及するのは随分後になってからです。  

 なお客室に酸素マスクが降りてきたのは衝撃によるものと考えられ、通常の着陸においてもハードランディングの際には酸素マスクが降りることがあります。さらに123便は客席酸素マスクの利用可能時間である12分が過ぎても高空にあり、急減圧発生とそれに伴う緊急降下の痕跡はどこにもありません。

 事故調査報告書には「CVRには異常事態発生直後における運行乗務員の減圧という緊急事態に関する呼称(Call Out)等の記録がなく、したがって減圧の際に当面とるべき措置も行われなかったものと考えられる。」とあります。

 そうなると、123便の3人のコクピットクルーは反射的に身体が動くほどの訓練を受けた緊急降下の手順を一切行わず、しかも長時間に渡り酸素なしで通常の操縦が続けられる超人だったと結論せざるを得ません。 

 この辺りを見ても、事故調査委員会の「専門家」と称する先生方は、旅客機の緊急事態時の対応について現場をどの程度ご存知なのか、不思議に思わざるをえません。私に言わせると「素人」の作文にしか思えないのです。事故調査報告書は、その大筋において「トンデモ報告書」とでも呼べるほどの、奇想天外、杜撰な内容と言えます。

 そもそもボーイング機は爆撃機設計の経験から、フェイルセーフ機構を各所に採用していて、圧力隔壁破壊時の減圧についても、機体後部のプレッシャーリリーフドアが開くことでさらなる破壊を防止する仕組みになっています。プレッシャーリリーフドアは正常な形で事故現場で発見されています。

 以上より、事故調が主張するような急減圧は起きておらず、この点から事故調のシナリオは完全に破綻しているのです。  
 日本乗員連絡会の冊子「急減圧はなかった」(1994.4)においても、この点について詳しく言及しています。

 その他、事故調査報告書には多くの矛盾点、旅客機の運行現場を知らない者が書いたような記述が見られ、何か重大なことを隠蔽しているとしか考えられません。

 機内に急減圧が発生しなかったとすると、垂直尾翼の破壊と油圧管の破壊は別の原因ということになります。垂直尾翼の破壊の原因は、フラッターか金属疲労により内部から破壊された、もしくは外部から何かが衝突したかの可能性が残ります。

 123便に使われていた機体番号JA8119は、B 747-100SRというタイプの旅客機で、いわゆるジャンボジェットの短距離国内線タイプです。この機体を購入したのは日本だけです。 

 国内線での使用のため離着陸回数が増えることに備え、脚の強化などの改修が行われ、客室の与圧設定も国際線よりも低めが標準値でした。 
 ただし当時日本航空では快適性を確保するために高めの与圧設定をしていました。

 また私が日航関係者から聞いた話によると、JA8119機は米国モーゼスレイクの訓練所でエンジン1発停止時の離陸訓練に使用されたことがあり、この際の急激なラダー操作により、尾翼とラダーを繋ぐ機構には通常より大きな負荷がかかっていた可能性があるとのことでした。

 なおYOUTUBEで123便の事故原因を追及するワタナベケンタロウ動画「【日航機墜落事故126】整備士は知っていた。パイロットたちは知っていた。」において、JA8119機が大阪空港でのしりもち事故の後、機体に歪みが生じ、異常を乗員から指摘されていたにもかかわらず十分な整備がされていなかったという事実が明らかにされています。

【日航機墜落事故126】整備士は知っていた。パイロットたちは知っていた。

 与圧設定や急激なラダー操作、あるいはしりもち事故の後の機体の歪みが金属疲労を誘発し、墜落の原因になったかどうかは単なる想像の域を出ませんが、仮にこうした内部からの破壊であれば、なぜ事故調はこれほど杜撰でなおかつ見当違いの報告書をでっちあげる必要があったのでしょうか。

 特に青山透子氏の「日航123便墜落ー圧力隔壁説をくつがえす」で指摘されている、事故調査報告書の記述の中にある垂直尾翼における「異常外力の着力点」と矛盾するように思います。

<< 何故機体後部の残骸をサルベージしないのか >> 

 事故原因の鍵を握る、垂直尾翼やAPU(補助動力装置)を含む機体後部の残骸は、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160m付近に沈んでいると言われています。

 ところが、この残骸がいまだに引き上げられていないのです。今年4月に発生した陸上自衛隊ヘリの墜落地点は水深約106メートル、昨年の知床遊覧船の沈没地点は水深約120メートルでいずれも引き上げられています。

 知床の遊覧船の事故では、国は8億円以上の費用をかけて沈没した船体を引き上げたとのことです。
 国会でもこのサルベージについての質疑が行われましたが政府は知らぬ存ぜぬを続けています。国会答弁の中で、国は引き上げ費用を遊覧船のサルベージ費用より遥かに安い数千万円と答えているにも関わらずです。 
 ANNは2015年、すなわち事故から30年後に静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で撮影された映像を、事故機の部品ではないかと報道しました。

123便の残骸か…相模湾海底で発見 日航機墜落30年
https://news.tv-asahi.co.jp/news…/articles/000056595.html
ー>削除されたようです。
 ところがYOUTUBE「ワタナベケンタロウ動画」において、衝撃の報告がされています。
【日航機墜落事故66】機体残骸を捉えた海洋調査会社に話を聞くと衝撃の答えが

 この動画の中で、サルベージ会社が事故機の残骸らしきものは見つからなかった、ANNの報道を不思議がっていると、誠に奇妙な事実が報告されているのです。
 果たして尾翼付近の残骸はすでに引き上げられてどこかに保管されて隠されているのでしょうか。

<< フライトレコーダーとボイスレコーダーの公開を求む >>

 次にオリジナルのフライトレコーダーとボイスレコーダーの公開をご遺族などが求めていますが、これも一切公開されないままです。
 
 2000年に123便の事故調査記録が廃棄されそうになった際に、ボイスレコーダーの内容がリークされましたが、果たしてこれが信用のおけるものかが疑問視されています。何故なら通常緊急事態の際に交わされるはずのトラブルの箇所やその対応に関する会話がない上、事故調査報告書に書かれた内容とはあまりにもかけ離れた箇所が見られるからです。

 このようにリークされたボイスレコーダーの音声についても多々疑問が残り、オリジナルのテープの公開は必須です。
 リークされた録音内容によると、衝撃音の7秒後にスコーク77という緊急遭難信号を乗員が発信しています。衝撃音の後の7秒間に乗員が操舵や計器、油圧など確認する時間はとてもありません。

 原因不明のまま乗員が安易に緊急遭難信号スコーク77を発信するはずがなく、私は接近してくる飛行物体の存在に気づいていた乗員が、衝撃音を空中衝突と確信したが故に、直ちに緊急遭難信号を発信したのだと推定しています。

 私が聞いた録音では、不鮮明ではありますが衝撃音の前に乗員が「あぶねえ」と発しているように聞こえました。リークされたボイスレコーダーを聞いた方の中には、「まずい」ではないかという指摘もあります。

 なお垂直尾翼を失っても4基のエンジンコントロールで横滑りしながらも方向転換は可能です。ユナイテッド232便も油圧を全て失った後もエンジンコントロールだけで空港まで到達しています。

 かつて米空軍のB52が落雷で垂直尾翼を失って嘉手納に生還した例もあります。
 それ故に123便は墜落地点まで辿り着けたわけです。

<< 航空自衛隊ファントム機の目撃情報について >>

  さらに事故調査報告書が目撃証言についてほとんど触れていないことにも大きな疑問が寄せられています。
 事故現場付近では、当時現職の自衛官や地元の住民、そして大勢の子供たちが、事故の直前に航空自衛隊のファントム2機を目撃しています。

 前出の「疑惑」においても、著者の角田四郎氏は、123便を追尾するように飛行するファントム2機を目撃しています。

  先ほど書かせていただいた通り、123便は緊急遭難信号、通称スコーク77を発しています。「スコーク77」は、民間機が何かに要撃の対象とされたということですから、自衛隊機としてはスクランブル発進をかけて被要撃機を誘導し保護することになっています。

 実際に国内における民間航空機の緊急事態発生時に、航空自衛隊の戦闘機が発進し、機内の乗客がその機影を撮影した映像があります。
 ところが事故調査報告書においては自衛隊機の発進は123便の墜落後ということにされており、多数の目撃証言が全く無視されています。

<<墜落地点の特定と救助に何故あれほどの時間がかかったのか >>

 墜落地点の特定と救助の遅れについても非常に不可解な点が多いのです。助かった乗客の方の証言から、墜落直後にはかなりの人数の方が生存されていたことが判明したので、救助が早ければより多くの方が助かった可能性があります。

 航空機事故において、墜落の衝撃よりも火災とそれに伴う有毒ガスが生死を分けることが知られています。
 123便の事故においても、墜落の衝撃が大きかったにも関わらず4名の方が生還されたのです。 

 地元の川上村の消防団の方々や墜落を目撃した方々からの情報で、墜落地点は早い段階でわかっていたにもかかわらず、14時間も経ってから救助が開始されたのです。

 米空軍アントヌッチ中尉が後年証言した内容によると、墜落地点付近を飛行していた米空軍厚木地区の米海兵隊救難チームのヘリコプターの乗員2人が、ロープで墜落現場に降りようとしたところ、日本側が向かっているので、突然中止命令が出され、引き上げたとのことです。

  また墜落直後に航空自衛隊の夜間撮影機能を持つファントムが現場で炎上する123便の墜落現場を撮影しています。
 
 当時はGPSによる位置確認や航法技術はなかったものの、天下の航空自衛隊たるものが現場で写真を撮影して場所を特定できないはずがありません。
 さらに墜落の翌日早朝、自衛隊員らしき姿が複数の人に墜落地点付近で目撃されています。さらには助かった乗客の方や地元の住民の方による多数のヘリコプターの目撃情報もあります。

 すなわち、あえて墜落地点の特定を遅らせることによって、公の救助が始まるまでの間に、自衛隊による何らかの工作が行われたのではないかが疑わしいのです。しかも、現場で発見された事故原因を解明する鍵となる圧力隔壁をカッターで切断するという愚行を平然と行なっています。

 さらに墜落現場で撮影されたオレンジ色の物体が当時週刊誌に掲載されましたが、その後連載がストップされました。
 試験中の海上自衛艦に搭載した仮想標的機の123便への衝突説を支持する方々からは、このオレンジ色の物体について様々な議論がされてきました。目撃情報の中にも飛行中の123便に赤っぽい物体が張り付いていたという内容も寄せられています。

 ミサイルや軍用機が民間機に衝突したという事例は過去にも発生しています。
1968年に発生したエールフランス1611便の墜落事故においては、事故発生から43年後の2011年、元フランス軍軍事長官ミシェル・ラティがフランスのテレビ番組に出演し、「あの事故はフランス軍が誤ってエールフランス機を撃墜したのが真相だ」と 証言しました。

 それがきっかけで、事故原因の再調査を求める動きが起き、2019年9月にマクロン大統領によって事故関連の機密を解除・公開されました。
 
 なお空中衝突であれば双方の機体が墜落するかというと必ずしもそうではなく、1機は墜落、もう1機は軽微な損傷で墜落というケースが過去にも起きています。
 
 墜落地点がなかなか明らかにならず、情報が二転三転したという点において、1952年4月9日に発生した「木星号墜落事故」に酷似しているという指摘があります。

 米国の被占領下にあった当時、123便と同じく羽田から伊丹に向かった日本航空のもく星号が伊豆大島の三原山に墜落した事故です。操縦士も管制官もすべて米国人により運行される中、墜落地点が特定されず、しかも舞浜沖に不時着して全員が救助されたという誤報まで流れました。

  この事故に対して、松本清張氏は「一九五二年日航機「撃墜」事件」で、もく星号は米軍機の誤射によって撃墜されたと推定しています。 
123便の事故の際には、墜落の翌朝に事故現場付近で自衛隊員らしき姿が目撃されたのと同様、もく星号の墜落現場付近には、早い時点で米兵がパラシュート降下した写真が当時のサン写真新聞に掲載されました。

<< 横田基地へのアプローチの可能性 >>

 リークされているボイスレコーダーの音声の範囲では、墜落直前に横田は周波数129.4でのコンタクトと横田への緊急着陸を呼びかけていますが、123便は反応していません。

 果たして、それより以前に123便と横田基地との交信はなかったのか、さらには123便と自衛隊との交信がなかったのかが疑問です。
 同じくリークされた音声によると、東京アプローチは羽田のRwy22への着陸を呼びけているものの、燃料投棄の余裕がないまま東京の都心を横断し、羽田の横風用滑走路へのアプローチを試みるより、近くにある滑走長がより長い横田のRwy18への着陸を考えるのは自然だと思います。

 横田基地の付近は住宅街があるという指摘もありますが、一方で横田基地のRwy18はオーバーランエリアが長く、その先もしばらくは基地の敷地内なので、羽田のRwy22よりも緊急着陸には有利な点があります。  
 横田基地付近では複数の目撃情報があるほか、今となっては事故調査報告書の飛行ルートが正しいと確信するには至らないため、123便が横田基地へのアプローチを試みた可能性はあると思います。

 それに加えてそれまで都心に向かっていた123便が何故突然進路を北西に向け、しかも危険な山岳地帯に向かって墜落したかも大きな謎と言えます。

<<「異常外力の着力点」について >>

 事故調査報告書の別冊には、「異常外力の着力点」についての記述がされています。
 事故調査報告書自らが、垂直尾翼への外力についての言及がなされているにも関わらず、何故これほど重要な内容についての調査や考察を行わないのでしょうか。

 事故調査報告書別冊より引用

<< 事故原因についての再調査が必要 >>

 いずれにしても、日航123便ジャンボ機墜落事故に関しては、再調査と真の事故原因を追求することが、この事故でお亡くなりになられた方々とご遺族の無念さに少しでもお応えできることになるのではないかと思います。

 写真は123便の乗客のご遺族の小田周二氏の3冊のご著書です。小田氏はこの事故で愛するご次男とご長女を失い、独学で事故原因の真相に迫った力作を刊行されました。 続いて「524人の命乞い」、「永遠に許されざる者 日航123便ミサイル撃墜事件及び乗客殺戮隠蔽事件の全貌解明報告」という渾身の書を著されています。
 
 前出の「疑惑」(角田四郎著)をはじめ、当時日本航空の客室乗務員をされていて多数の同僚の方を事故で失った青山透子氏のご著書、そして元日本航空の機長で事故調査の専門家である藤田日出男氏のご著書など、123便の事故原因を探る数々の書籍は、運輸省航空局事故調査委員会が作成した大筋で出鱈目の報告書、そして後年国土交通省の運輸安全委員会が作成した子供騙しの解説書に比べれば、はるかに事故原因の真相に近づいていると言えます。

 さらにこうした書籍を陰謀論としか捉えられない方々の論理的思考、科学的考察の浅さを危惧する次第です。

  むしろ事故調の急減圧説に沿った解説をする書籍の方が、科学と旅客機の運行に関する基礎知識を逸脱したトンデモ本と言えるのではないかと思います。

 大手マスメディアも、ご遺族による墜落現場への慰霊登山の報道のみならず、事故の真の原因を探るべく本腰を上げるべきではないでしょうか。

 旅客機の運行と航空機の構造に多少の知識があれば、事故調査報告書の出鱈目さについては十分指摘が可能な上、解説書に至っては、中高生でも根本的な間違いを指摘できると思います。

 特に事故調査報告書への疑問に答えるべく発行された解説書については、お亡くなりになられた方々とそのご遺族の問いかけに対して、無礼と不遜の極みと言えます。
 123便の墜落原因について杜撰な事故調査報告書を提示した当時の運輸省、新型コロナワクチンについて十分な安全性を確認しないまま再び悲惨な薬害事故を起こした厚生労働省、国民に平気で嘘をつくこうした体質を放置していたならば、国民は安心して生活することができません。

 政府と国土交通省は123便の墜落事故原因の再調査を開始し、真の原因を国民の前に提示すべきです。

 最後に、この事故でお亡くなりになられた520名の方々の御霊のご冥福をお祈りさせていただきます。
                 合掌。


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