人類の苦悩と幼年期の終わり

カソリックの聖地ファティマのオリーブ畑のすぐそばに、3人の羊飼いの子供たちの前に2度目の天使が現れた場所があります。
 
 羊たちの穏やかな顔と、葉っぱを食べる姿を見ていると永遠の時と自然の精妙さを感じます。

 その一方で人間は、大脳新皮質を獲得することで、優れた芸術や科学を生み出しましたが、同時に戦争や差別、環境汚染を生み出しました。 かつての職場の上司が、毎年年賀状に「小人閑居して不善をなす」の諺を書いてきてくれました。小人物は暇がたっぷりあると、とかく良くないことをする。当時仕事が忙しかった私への激励でもあり、同時に戒めの言葉だったように思います。

 確かに人間は暇になると、良いことも思いつく一方で、余計なことも考えがちです。人類全体を見れば、衣食住事足りたのに、新たな移動手段を発明し、同時に事故も発明しました。自然の食べ物に満足せず、危険な食品添加物を発明しました。さらに他国の領土を奪い、愚かな原発を発明しました。無限の快適さ、心地よさ、そして支配力、権勢欲を追求するばかりに、かえって不幸な社会を生み出したのです。

 東京からリスボンに移住してから、東京で重要だと考えていたこと、例えば生産性や効率を追求することがさほど重要でなくなりました。それよりも時間的なゆとりや人との親密さ、家族や地域社会の結束の方がはるかに大切に思えるようになったのです。
 異なる社会や文化に慣れたのではなく、価値観が変容したのです。

 私たちは、家庭や学校で教えられたこと、マスメディアで伝えられたことに良くも悪くも洗脳されてきました。全てではありませんが、学校では間違った歴史を教えられました。マスメディアにより本当に重要なことが知らされずに過ごしてきたことも多々あります。

 最近では、事前に原理を知らされれば明らかに危険であることがわかる新型コロナワクチン情報に関して、世界中で多くの人が騙されました。危険な新型コロナワクチンを製造した製薬会社も、ワクチン接種を推奨した政府やマスメディアも、恐るべき暇と退屈をもてあましたのでしょうか。

 明らかな間違いに目を背け、国民を洗脳する政府やマスメディアも、その根底に「暇」とそこから生じる「退屈」があるのでしょうか。

 哲学者マルティン・ハイデガーの退屈論は、これまで目を背けていたこの「退屈」について、私に新しい知見を与えてくれました。

 ハイデガーによると、人には3つの退屈があるそうです。一つ目は田舎の駅のホームで列車を1時間待つような退屈。2つ目は仕事をしていたら誰かからパーティーの誘いがあり仕事を中断して出席し、再び仕事に戻ってきたとき、あれも一種の退屈だったと気づくような退屈。そして3つ目が休みの日にふらっと街に出てウインドウショッピングをするような退屈。人はこの3つ目の退屈に目を向けることが大切とのことです。

 私はこの3つ目の退屈の中に、これからの人類の行く末を決める鍵があるように感じています。

 「小人閑居して不善をなす」は私自身への戒めの言葉であり、幼年期にあるとも言える人類の行く末を占う言葉ではないかと考える今日この頃です。

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