幻のレーサー 福澤幸雄

2月12日はレーサー福澤幸雄の命日です。半世紀以上も前のことです。
 若い方はご存知ないかもしれませんが、当時福澤幸雄はチームトヨタのトップレーサーで、しかもファッションブランドの重役、そして自らもファッションモデルで、若者の憧れの的でした。
 

福澤幸雄は1969年2月12日、静岡県の袋井にあるヤマハのテストコースでテスト走行中に事故に遭い、帰らぬ人となりました。享年25歳でした。
 私は当時小学校5年でレーサーに憧れていたので、福澤幸雄の死を報じる新聞の見出しに大いに衝撃を受けました。


 家内と結婚したのちに、家内の実家が福澤家の親戚とわかりました。家内は物心つく前でしたので幸雄のことは覚えてないとのことでした。後に幸雄の妹のエミが、岳父に将来の相談に訪れたことで、エミのことはよく覚えていて気も合ったようです。


 幸雄の死による、福澤家の落胆は尋常ではなく、特に母親のアクリヴィの精神的なダメージは想像を絶するものがあったようで、岳父もそれを支えるために頭を悩ませたようです。
 事故の当日、幸雄はトヨタ7でテスト走行を行っていました。この日のテスト走行にはあまり気が乗らないことを周囲に漏らしていたようです。直線区間を高速走行中にコースを逸脱して側壁に激突し、ほぼ即死だったとのことです。


  トヨタ側は運転ミスを主張するものの、福澤家側は車の欠陥を主張、裁判は10年の長期に渡りましたが、1981年にトヨタが遺族側に和解金を支払う形で和解が成立しました。しかし事故原因の真相についてはいまだに謎のままです。


  事故調査というのは先入観や客観的なデータなしの予断は禁物ですが、あくまでも私見ということをお断りした上で申し上げると、私はこの事故はトヨタ7の空力学的な欠陥によるものではないかと思っています。航空機と同じく、高速での揚力によりフロントが浮き上がり、操舵によるコントロールができなくなったのではないかと思います。後にトヨタセブンがウイングを装備したことからも、当時の空力特性は疑わしいと思っています。

トップレーサーがステアリング操作もブレーキも思うようにならないまま、直線区間で側壁に激突するなどということはありえるでしょうか。

走行中に突然の病が襲ったことも考えられなくはありませんが、幸雄の後を継いだ川合稔氏もやはりトヨタ7で走行中にお亡くなりになったことを考えると、トヨタ7の問題を疑わざるを得ません。
 川合稔氏は当時の人気モデルであった小川ローザさんとの新婚生活を始めたばかりのことで、同じく若者の憧れの的だったことを考えると、その死は惜しまれてなりません。


  幸雄の父である、進太郎は慶應大学の教授としてフランス語の教鞭を取っていました。私はその後慶応の学生になり、日吉の図書館にあった「福澤幸雄事件」という書籍を読んだのを覚えています。進太郎とは日吉の校舎で1度だけすれ違ったの覚えています。心なしか表情が寂しかったように記憶しています。


 進太郎、アクリヴィ、そしてエミもすでにこの世を去り、あの世で幸雄と再開、鎌倉山の自宅の時と同じように仲睦まじく生活していることでしょう。
(写真は「幻のレーサー 福澤幸雄」ノーベル書房より)

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