ユーモアとリーダーシップ

家内とリスボン市内のイタリアンレストランで昼食をしたときのことです。

食通とはほど遠い私が、毎度のことながら何を注文してよいか迷った末、初老のウエイターに少し待って欲しいと頼みました。時計を見ると午後2時でした。彼は一呼吸置いてから「お店は午後11時までですから、お決めるまでにはまだ十分に時間がございます。」と笑顔で私たちに告げました。

思わず家内と顔を見合わせて笑いました。 小一時間ほどで昼食を終え、会計を済ませて立ち上がろうとすると、再び彼が「お店は午後11時までですから、お帰りになるにはまだ十分に時間がございます。」と再び笑顔で声をかけてくれました。

次に訪問した時にも、この初老のウエイターに出会いました。その時はこんな風でした。

私が吹き抜けを通して下の階が見える席に座りたいと彼に告げたところ、「はい承知しました。『海の見える席』ですね。ご案内しましょう。」

 ポルトガル人は生真面目で、あまり冗談を言わないのではないかとの先入観があったので、この日は少々意外でした。 

英国を始め、欧米社会ではユーモアのセンスが重視されますが、かつて英国貴族のユーモアについて書かれた書籍でこんな一節を目にしたことがあります。 

ある英国貴族が地元で穴の空いたセーターを着て歩いていました。「あなたは貴族なのに何故穴の空いたセーターを着ているのですか。」と地元の住人が貴族に聞きました。貴族は答えました。

「何故ならここでは誰もが私を貴族と知っているからだ。」

 次にこの貴族がロンドンの街を穴の空いたセーターを着て歩いていました。

「あなたは貴族なのに何故穴の空いたセーターを着ているのですか。」

貴族は答えたました

「何故ならここでは誰もが私を貴族と知らないからだ。」

 ユーモアというのは、対象からある一定の距離を置いた上で、日常にはない逆転の発想の元に生じると言われていますが、そのためには対象と一定の距離を保てる心のゆとりが必要になります。

山本七平が名著「空気の研究」で説いた、「対象への臨在感的把握」とは真逆の境地と言えます。「空気の研究」では、戦艦大和の出撃の際に、それを阻止できなかった現場集団の「空気」が論じられましたが、英国人はこうした土壇場の際のユーモアが評価されると聞きます。 

お聞きになった方も多いと思いますが、看守が死刑囚に最後の一服をすすめた時の逸話があります。死刑囚はこう答えてタバコを辞退します。「やめておくよ。最近健康には気をつけるようにしているんだ。」 

英国ではジェームズボンド役のショーン・コネリーよりロジャー・ムーアの方が人気があったそうですが、彼が演じるボンドの三枚目的な側面と共に、自分を狙撃しようとしている女性パイロットにウインクしたり手を振ったりするあたりが評価されたのではないかと思います。 

ロジャー・ムーアは実生活においてもエレガントな紳士だったようです。ある日ニース空港で7歳の少年がロジャー・ムーアの姿を見つけます。航空券にサインを求めると、快く応じてくれたもののサインは「ロジャー・ムーア」。

少年が「ジェームズ・ボンド」のサインが欲しかったことを知ると、ロジャー・ムーアは少年の耳元でこうささやきました。

「私はね、ロジャー・ムーアという名前でサインをしなければならないんだ。何故ならジェームズ・ボンドとサインしてしまうと、ブロフェルドに居場所がばれてしまうかもしれないからね。」
 ブロフェルドは007シリーズに登場するジェームズ・ボンドの宿敵です。

政治家のユーモアには感心するものもあれば、考えさせられるものもあります。 英国のウインストン・チャーチルはこんな発言を残しています。 

「期待される政治家とは、明日なにが起きるかを、国民に予告できなくてはならない。 そして、次の日、何故自分の予言通りにならなかったかを国民に納得させる能力がなくてはならない。」

いかなる場面においても、リーダーのユーモアのセンスは、場を仕切る指揮官として大変重要な要素ではないかと思います。

 ところで数年前、極東のどこかの国で森羅万象を司ると宣言した宰相が登場したとの話を耳にしました。

「あなたは何故ご自分のことを神と思うのですか。」

私がその人物だったらこう答えるでしょう。「何故なら、私は日本人の姿をしているのに漢字も読めないし歴史も知らないからだ。万象を司る神は言語も時間も超越しているのだ。」

  こんな時は本気で腹を立てるより、自国の政治家が森羅万象を司るようになったことに

拍手喝采して、笑い飛ばすだけの心の余裕を持つべきかもしれませんね。

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