昭和38年(1963年)当時の日本航空の時刻表を入手しました。私が初めて飛行機に乗ったのはその前年ですが、それがDC-6BかDC-7Cであった事を再確認できました。同時に国内線でJETと表記されているコンベア880が、東南アジア線だけでなく南回りヨーロッパ線でも活躍していたことを知りました。
当時の日航の花形ジェット機というとダグラスDC-8を連想しがちですが、コンベア880も黎明期の同社ジェット路線を支えていたのです。凝った設計の割にセールスに結びつかず65機の生産に留まりました。離着陸性能が芳しくなくパイロット泣かせだったと聞きますが、乗りこなせば戦闘機のように俊敏だったと評価する声を聞いたことがあります。次に開発された990はさらに少量生産で、わずか29機。大きな燃料タンクを翼につけたスイス航空の990が当時の羽田に飛来しました。
私が航空機に目覚めた70年代初頭、日航のコンベア880はすでに退役し、羽田整備場付近に駐機している姿を見かけました。一方香港を拠点とするキャセイ航空のコンベア880はまだ現役で、黒煙を背後にアプローチしてくるので、ひと目でそれとわかりました。その後日本航空のコンベア880は海外の航空会社に売却されたようです。元々アナログ指向で古い航空機が好きな私にとって、今だ興味が尽きない機体です。
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