ホテルオークラ旧本館

2015年の結婚記念日の夕食の後、家内があることに気づきました。

今は解体され新築された、ホテルオークラ旧本館ロビー上の踊り場で、幼い時の目線で見ていたロビー階段上の手すりの高さをふと思い出したのです。それをきっかけに33年前に他界した父に連れられて同じロビーを歩いた、幼い日の記憶が怒濤のように押し寄せて来たとのことです。その凝った調度の中を歩く度に、幼心に「宝石箱の中を歩いているみたい」と感じた際の映像が瞼に鮮明に浮かんで来たのです。

そして今の身の丈から見下ろす同じ手すりを見るにつけ、駆け抜けて来た人生を振り返り感慨に耽ったのだと家内は私に告げました。私にとって生前に会うことのできなかった岳父のことは家内からよく聞かされていたので、本館の車寄せに到着して出迎えを受ける父と、その後ろを歩く幼い頃の家内の姿を随分とリアルに脳裏に再生できるのです。

日本に現存するモダニズム建築の中でもとりわけ凝った意匠のオークラ本館は、家内にとっては美術館とも呼べる場所だったようです。とりわけ桃花林では、多くの調度品に囲まれながら奥に通される際のいい知れぬ高揚感は今も昔も全く同じとのことです。 

私はと言えば、絨毯に染み付いた煙草のほのかな香りに、幼い頃に祖父の書斎の扉を開けた瞬間に漂う煙草の香りを思い出しました。家内と違って私はホテルオークラそのものの記憶はほとんどが社会人になってからのものです。幼い頃のホテルの記憶と言えば帝国ホテルのライト館、父に連れられて米国人が宿泊する客室を訪れた時の記憶が残っています。廊下の仄暗さと絨毯の感触、そしてロビーのランプの光は後にセゾン美術館に展示されたライト館の調度を見た際に蘇って来ました。

 私も家内もホテルをはじめとするこうした日本のモダニズム建築から受けた影響は計り知れないものがあります。そしてそこで働くホテルマンの身のこなしともてなしの心に、夢と希望に溢れていた昭和の息吹を感じ、今新たにその夢と希望を心に刻み込むのです。

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ホテルオークラ本館をはじめ、かつてのお気に入りだった都内のホテルが閉鎖や建て替えで、寂しい事この上ありません。その一番は父のお供でよく訪れた千鳥ヶ淵のフェアモントホテルです。そして改築前のパレスホテルと帝国ホテルのライト館。最近流行の明るいロビーとは反対に、仄暗いロビーや廊下が懐かしいです。同じく山の上ホテルも好感が持てます。

「仄暗さ」と言えば、比較的新しいホテルの中では目白の椿山荘や恵比寿のウエスティンはl許容範囲です。

旧人類と呼ばれようが、ホテルは知的で重厚でないと物足りなく落ち着かないのです。

1960年代 夢見る時代
ホテルニューオータニ、フェアモントホテル

新しい本館にもその意匠が継承された、ホテルオークラ旧本館ロビー

2015年6月当時のホテルオークラの冊子より

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