ホテルニューオータニ、フェアモントホテル

 最初の東京五輪が開催された昭和39年(1964年)にホテルニューオータニが開業しました。
 明治生まれで新し物好きの祖父が、私たち家族を最上階のレストランに連れて行き軽食をともにしたことを覚えています。
 ゆっくりと回転するレストランの窓付近には、窓から見える景色の説明が書かれていたのが子供ながらに印象的でした。
 60年代という時代は、次々と日本に新しい物が誕生し、映像の楔が記憶の中に打ち込まれた時代です。

 この建物は1967年公開の映画「007は2度死ぬ」(On Her Majesty’s Secret Service)では、大里化学工業という架空の会社の本社ビルとして使われています。ショーン・コネリー扮するジェームズボンドが車寄せで襲撃された際に、若林映子扮するボンドガールのアキのトヨタ2000GTが駆けつけるシーンが印象的でした。

 007は2度死ぬのスタッフが日本をロケで訪問した際の1966年には、日本で3連続航空機事故が発生しました。映画のスタッフは3月5日に富士山付近で空中分解したBOAC機の機長と事故の前夜に夕食を共にしたとのことです。スタッフの何人かは事故機に搭乗予定でしたが、出発の2時間前に搭乗を取りやめ一命を取り留めました。一方26組ものアメリカ人夫婦が搭乗していたため、両親を失った子供が63人にものぼったそうです。

 ホテルニューオータニよりさらに昔、フェアモントホテルが千鳥ヶ淵の緑道脇に開業したのは1951(昭和26)年のことでした。GHQの要請による外国人向けホテルとしてオープンしたそうです。

 「ホテルの社会史」(富田昭次著、青弓社によると、東京五輪に向けて1962(昭和37)年に本館南側半分を取り壊して6階建てのビルを建設、その完成後に北半分を増築したとのことです。

 フェアモントホテルの本社はカナダのトロントで、父がカナダに駐在していた関係でカナダからのお客様をここでおもてなしすることがありました。子供ながらにその独特な落ち着いた佇ま氏を記憶しています。

 政治家と芸能人の密会の場所とも噂されたホテルですが、確かにそのロケーションは、東京のど真ん中にありながらも密会するのにふさわしい場所にあったかもしれません。

 フェアモントホテルは残念なことに、2002年1月27日にその営業を終えました。
2つのホテルとも、旧帝国ホテル本館、ホテルオークラ旧本館などと共に、日本の高度成長期と日本人の夢と希望を象徴するホテルだったと思います。
1960年代 夢見る時代
ホテルオークラ旧本館

ホテルニューオータニ本館最上階のラウンジ。当時の絵葉書より。この当時の東京の街中や旅客機の機内写真を見ると、スーツ姿の男性が目立ち、男女ともに今よりも服装がきちっとしていることが印象的です。これは日本だけでなく欧米も同じです。
 この当時より経済的には豊かになったものの、21世紀の日本の方が何となく貧乏臭く感じるのは何故でしょうか。

ホテルニューオータニ本館。当時の絵葉書より。

千鳥ヶ淵とフェアモントホテル。当時の絵葉書より。

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