日本に英語教育は必要ですか

 ポルトガルで生活するようになって気づいたことのひとつが、日本語の美しさと奥深さです。外国人とのコミュニケーションという目的においては、外国語を学ぶことは大切なのですが、思考力と表現力を養うために若いうちから日本語の能力をしっかりと身につけておくことが大切だと思います。 

 近年日本においては英語教育の大切さが叫ばれてきました。しかしご存知の通り日本で生活する大多数の人にとって、外国語はほとんど必要ありません。明治維新以来の脱亜入欧、最近のボーダーレスというような論拠の薄い概念が、国際公用語としての英語を身に着けることがさも重要なことかのように叫ばれてきました。もし本気でそれに信じるのであれば、日本以外の多くのアジアの人たちのように実用英語を短期間で徹底して身につけるべきです。もしくは欧米の教養ある人たちのようにラテン語を身につけ、さらにはポリグリットを目指せばいいと思います。英語に限らず、イタリア語でもフランス語でもドイツ語でも自分に必要な外国語を選択すればいいのです。「学校英語」という無用の長物を廃止すれば、日本人は海外でもっと伸び伸びとコミュニケーションをとる事ができます。私が知る限り、日本人が中学高校の6年間で学ぶ程度の英語は、欧米やアジアの人たちは半年から2年で身につけています。

 一方でアメリカやカナダに留学して、英会話を身につけた若い日本人たちの中に、スラングや省略語をさも得意げに多用するの姿を見かけてうんざりすることがあります。その異様さは逆のケースを考えてみればわかります。欧米人が日本で「エッ、まじ?あ〜、うざって〜!」などと喋ったらどんな印象を受けるでしょうか。その人の言語能力よりも、その人の教養を疑われるでしょう。恐らくこうした人たちは、母国語の基礎も曖昧なのではないかと思います。

 電話口に出た会社員から「ただいま部長は席をはずしていらっしゃいます。」というような返事をもらうようなことが最近しばしば起こります。敬語の使い方を家庭で習わなかったのでしょう。自分の妻のことを相手の前で奥さんと呼んだり、自分の夫のことを目上の人や仕事場で旦那と呼んだりと、近年の日本語の乱れは凄まじいものがあります。

 「そんなの関係ね〜じゃん、通じりゃいいんだから!」という人たちには、日本語に刻印された日本独自の美意識と、言語に彩られた表現や感情の機微に気づくことはないのでしょう。
 以前ある国際会議に出席した時のことです。私以外にもうひとり日本人が出席していました。その人は英語が話せないので、通訳ブースの英語の通訳を介して話していました。ふとヘッドセットを日本語のチャンネルに切り替えてその人の日本語を直接聞いてみました。朝から晩まで英語づけの日々だったので、その瞬間改めて日本語の美しさに感動したのを覚えています。言語の美しさだけでなく、その人の言葉が放つ誠実さや礼儀正しさに感動したのです。

 リスボンで昨年家内と買い物をしていたら、初老の女性が近寄ってきて私たちに会話に耳を傾けました。彼女いわく「音楽のように美しい言葉だったのでつい耳を傾けた」とのことでした。ポルトガルではアニメが吹き替えでなく字幕で放送されているので、若い人たちは日本語の音に慣れ親しんで知るようです。先日UBERに乗ったら、私と家内の会話を聞いていたらしく、降りるときにドライバーが日本語で「どうもありがとうございました!」と挨拶されて驚きました。

 兼高かおるさんがあるラジオ番組で、海外では日本女性特有の立ち居振る舞いを大切にするという意味のことをおっしゃっていました。近年の日本女性にはそれがだんだん少なくなって、がっかりしているともおっしゃっていました。それで思い出すのは、小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が、夜汽車の中で女性が手で顔を隠して眠りについている姿を見て、その奥ゆかしさに感動したという話です。

 海外に出ると、先人が長年築いてきた信用の有り難みに感謝せざるを得ません。日本人が信用を得てきたのは、ボーダーレスだ国際化だと叫ぶ奇妙な宇宙人としてではなく、日本人としての誠実な振る舞いにあったからだと思います。それは話す言語が日本語であろうが、外国語であろうが同じです。

 ところで新型コロナ感染拡大で、日本国内でやたらとカタカナ英語が飛び交っています。中にはGO TO TRAVELのような和製英語まで飛び出してきました。幅広い地域や年齢層の人たちに重要な情報を伝えるために、何故「クラスター感染」ではなく「集団感染」と言えないのか、「パンデミック」ではなく「世界的大流行」と言えないのでしょうか。どうしても英語で表現したいのであれば、せめて義務教育の範囲の単語に限るくらいの配慮を行政はすべきです。
 新型コロナで出てきたこうした言葉に限らず、最近は日本人が日本人に対して「エビデンス」などと言っている姿を見ると、その言語感覚とメンタリティの低さに蕁麻疹が出そうになります。20年くらい前から流行りだした「ソリューション」も同じです。会話に外来語を入れると学があるように見られる時代ではありません。

 こうしたおっちょこちょいの言語感覚は「3密」とか「5つの小」などという奇妙な造語に集約されるのではないでしょうか。私などは、3密と聞くと2つは思い出せても3つ目が思い出せないことがしばしばです。3つ目は餡蜜か壇蜜が出てきます。5つの小になるとまず無理です。だったら、3密ではなく「密閉、密着、密接」と連呼した方が記憶に定着すると思います。ついでに言えば、会食だけでなく、満員電車でも屋外でも十分感染の可能性があることもアナウンスするべきです。
 
 そして極めつけは、一国の宰相が役人の作った内容の薄い台本を棒読みし、漢字の読み間違いまでする姿でしょう。 
 自分の言葉で語れない人が、一国のリーダーシップを取れるわけがありません。

 日本の中学高校の英語の時間をすべて国語の時間にしたらいかがでしょう。どうしても外国語が必要な人は、ネイティブからダイレクトメソッドで学べばいいと思います。

 日本に住んでいたとき、近所のイタリアレストランで働いていたイタリア人ウエイターの日本語の美しさに舌を巻いた覚えがあります。特に敬語や間の取り方が素晴らしかったです。言霊という言葉がある通り、言語は人の魂の一部です。私は今こそ日本は日本語と日本文化の伝統を大切に守り、脱亜入欧ならぬ脱欧入亜を志向すべきではないかと思います。食物自給率100%を誇り、長期に渡り戦争のない平和が続いた江戸時代を振り返り、真に豊かな国家を目指すべではないかと考える昨今です。
 

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