自動車事故で知ったポルトガルの人と社会

2020年11月のある日、私と家内は空港でレンタカーを借りてリスボン市内のパルマ通り(Rua da Palma)をアルファマ地区に向けて走っていました。運転している私も、隣の家内も人が頻繁に道路を横切るのが気にはなったものの、流れに乗って順調でした。そして小一時間が過ぎた頃、いきなり車の前方をタクシーが猛スピードで横切りました。とっさに急ブレーキをかけたものの間に合いませんでした。私の車のフロントとタクシーのサイドが衝突し、タクシーのドアがへこみました。

私は慣れない土地で、自分がとんでもない過ちをしてしまったのではないかと落胆しました。幸いにしてタクシーのドライバーや乗客、そして私も家内も怪我はなかったのが救いでしたが、しばらく呆然としていました。気を取り直して居合わせたバイクの地域警察官とタクシーの乗客の女性と話をして、車をタクシーの後ろに移動させました。

これから色々な手続きが必要になるのかと思うと気が重くなりました。地域警察官とタクシーの乗客の女性によると、タクシードライバーの認知能力に問題があるとのことで、交通警察官を呼んで解決するとのことでした。地域警察官も乗客の女性も非常に冷静で、親切に応対してくれたので大変ありがたかったです。警察官が到着するまでの間、私は周囲の道路の状況を確認しました。そこでわかったことは、明らかに私の側に優先権があり、タクシーが無謀にもいきなり私の前方を猛スピードで横切ったことがわかりました。タクシーは私の車を振り切ろうとしたものの、間に合わなかったようです。

担当の警察官はいつ到着するのでしょうか。バイクの地域警察官は現場に残って、電話でやり取りをしていましたが、担当の警察官がアルジェス地区で別の案件に遭遇し、到着が遅れるとのことでした。ポルトガルで遅れるという言葉は、あと何時間待つかわからないということです。午後5時半頃に事故が発生、時計はすでに午後7時を回っています。

トイレに行きたくなったので現場の警察官に伝えると、車を置いたままならどこに行っても構わないということだったので、近所のショッピングセンターのトイレを借りに行きました。2度目の時はそこが閉まっていたので、しばらく歩いた場所にあるホテルのトイレを借りました。そして時刻は午後7時半を回りました。あたりはすっかり暗くなり、帰宅を急ぐ通行人の数も増えました。パトカーがよく通るのでいよいよ到着かと思うと、別の用件のパトカーでその度にがっかりしました。

そうこうしているうちに、相手のタクシードライバーが降りてきて、私の車のバンパーを布で拭き始めました。ポルトガル語で話しているので、何の意味かわかりません。そこにいきなり若者がやってきて、タクシードライバーの動作を制止しました。若者も私たちに何かを言っています。要はドライバーを追っ払ったので1ユーロよこせということのようでした。そこで窓を開けて1ユーロを渡すと、膝まずいて私たちにお辞儀をしたのです。

海外でわけのわからないこうしたハプニングは経験済みなのと、危害を加えるような相手ではなかったので、むしろこの若者が現れたのが天の采配のように感じました。後から想像すると、タクシーのドライバーは警官がなかなか来ないし、被害も少ないので、このまま示談で済ませようとしたのではないかと思います。

そして午後8時半頃、いきなりふたりの警察官が現れました。ところが一難さってまた一難、ふたりとも英語がほとんどわからないのです。仕方なしに、iphoneのGoogle翻訳でコミュニケーションをとることにしました。こんな時、翻訳ソフトは本当に助かります。しかし流石にもどかしいので、英語のできる警察官を呼んで欲しいと行ったところ、それは通じたようで、自分に連いて来なさいとのこと。後をついて行くと、何とすぐ近くに警察署がありました。そこで英語ができる警察官を探してもらいましたが、あいにく不在とのことで、仕方なく警察署を後にしました。

歩道に出たところで、警察官が通行人に声をかけて通訳を頼みました。若者の3人づれが快く応じてくれました。かつても保険会社の入り口で、守衛さんが通行人の人を連れて来て、私を建物の中まで案内してくれてことがあったのを思い出しました。

ひとりの若い女性が警官と私の間に入って、ポルトガル語と英語間の通訳をしながら、私が事故の状況を用紙に記入することになりました。警官から車のナンバーを訪ねられたので、私はレンタカーなので車を見に行かないとわからないと答えてところ、もう一人の女性が「私が見に行ってくる!」と親切に申し出てくれました。警官が「ちょっと待って、ここに書いてあったので行かなくていいよ。」と答えました。

事故の状況を書く欄に関しては、警察官の「母国語で書いてもいいことになっている、後から翻訳することになっているから」との言葉に一瞬迷いましたが、それならと日本語で書くことにしました。20代の頃なら、無理してでも英語で書いていたかもしれません。この辺は年齢を重ねると格好よりも無理しないようになるようです。

通訳の若い女性は、警官の通訳だけでなく、書類を記入するにあたって注意すべき点だけでなく、保険請求などの大事な点などをこと細かに説明してくれました。
書類の記入が終わり、若い警察官が私のアルコール検査をして、更に年配の警察官がタクシーの保険会社のステッカーの写真を撮っておきなさいと促しました。

最後に二人の警察官が私と家内に対して、肘を使って交互にハイタッチして、「Japão!」と言って笑顔で立ち去ってゆきました。

私と家内はそのまま車で帰宅し、翌朝レンタカー会社のトラックで車を回収してもらいました。保険会社が30-40分でトラックが到着するというので1時間は覚悟していたところ、本当に30分で到着しました。

トラックのドライバーが私に「この車はどこに運べばいいんだ?」と聞くので、「私も知らないよ。」と答えてお互い顔を見合わせて笑いました。
トラックのドライバーは電話で配送先を問い合わせた後に出発しました。
その後、保険会社が手配してくれ、なおかつ時間ぴったりに迎えに来たタクシーで空港に向かいました。書類を整理しておいたので、レンタカー会社の窓口で10分で手続きがすべて終了しました。

私は今回の経験を、かつて国語の教科書で読んだジョン・スタインベックの短編「朝めし」(Breakfast)のストーリーに重ね合わせざるを得ませんでした。
通りすがりの作者が、キャンプをしていた綿摘みの季節労働者の家族に、戸外で朝食をご馳走されるという物語です。たった数ページの何気ないストーリーなのですが、人の生き様の本質に触れた思いが今でも心に刻まれています。ついでに申し上げるならば、行間から漂ってくるベーコンの香りも、同時に脳裏に刻まれました。

タクシーの乗客、3名の警察官、1ユーロでタクシー運転手の行動を制止してくれた若者、ポルトガル語で私に交渉を持ちかけたものの諦めたタクシードライバー、当たり前のように通訳を引き受けてくれた通りがかりの若者たち、さらにはトイレの場所を親切に教えてくれた洋品店の女性、トラックのドライバー、レンタカー会社のカウンターの男性と女性、それぞれがそれぞれの役割を淡々と果たしてくれたお陰で、異国から来て現地の事情に慣れない私が、全てをスムーズに、あたかも普段過ごしているのと同じように問題を処理することができたのです。
とりわけタクシー運転手の行動を制止してくれた若者がなぜあのタイミングで現れたのかがいまだに不思議です。ポルトガルで生活するようになってから慣れ親しんだ「成り行き任せ」を受け入れた際に時々起きる、天の采配という気もします。

「朝めし」の作者が見ず知らずの綿摘み労働者に朝食をご馳走になったのと同じように、何気ないようで実に心温まる手厚い応対を私は多くの人から受けたのを感じました。

これを別の表現をするならば、西洋の市民社会のあり方を肌で感じた出来事でした。日本で同じようなことが起きても、同じようであったかもしれません。しかし今は言葉で表現することができない、どこか日本とは異なる欧州の市民社会のあり方、カソリック教国の社会のあり方がそこにありました。私がポルトガル社会をより深く知り、もう少し賢くなったなら、言葉で表現できるようになるかもしれません。

私自身への戒めとしては、あたりまえのことをあたりまえにすること、それも喜びをもって引き受けることに対して、自分自身にさらなる同意を求めるべきを学んだことです。

幸いにして人身事故にならなかったから言えることか知れませんが、サンジョルジェ城を見上げる黄昏のアルファマ地区は私にとって思い出の場所になりました。

写真はサンジョルジェ城近くの小高い丘から望む黄昏のテジョ川です。川を右手に下れば北大西洋です。

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