写真は1917年5月13日、目の前に聖母が現れたという、3人の羊飼いの子供たちです。左からルシア・ドス・サントス、フランシスコ・マルト、ジャシンタ・マルトです。フランシスコとジャシンタの兄妹は聖母の預言通り間も無く夭折し、2000年にヨハネ・パウロ2世により列福されています。ルシア・ドス・サントスはその後修道女になり、予言の内容を教皇庁に伝え、2005年2月13日に97歳で天に召されました。
ルシア、フランシシコ、ジャシンタの前に14、5歳くらいの平和の天使という若者が出現したのが1916年の春頃のことでした。彼は3人に祈りの言葉と祈り方を教えました。天使の訪問が度々続いた後、1917年5月13日に3人の前に聖母マリアが現れました。
聖母マリアは毎月13日に同じ場所へ会いに来るように3人に伝えました。子供たちは聖母に会う度にメッセージを託されました。
聖母からのメッセージは、死後の地獄の存在、第1次大戦の終結と新たな大戦の勃発の可能性、そして1960年までは公開しないよにとルシアに伝えられた秘密の内容でした。この秘密の内容は1960年を過ぎても教皇庁が発表せず、2000年になってから発表されました。公式発表によると、1981年5月13日に発生した暗殺未遂事件とのことでしたが、それを疑問視する声により「ファティマ第3の予言」として長らく議論が交わされてきました。
なお1917年10月13日には、集まった約7万人の群衆の目の前で、太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し、その猛烈な熱で雨に濡れていた群衆の服は乾いてしまったとのことです。世界各国の天文台ではこうした太陽の異常な運動は確認されておらず、集まった全員が同じ幻覚を見たこととされています。群衆の中には新聞記者たちもいたため、ポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載されました。群衆を散らすための山岳兵部隊も奇跡を目撃して、直ちに回心したそうです。
ファティマの奇跡に立ち会った羊飼いの3人の子供達は、当初嘘をついたと疑われて、当時のカソリック社会での厳罰を受けることも恐れずに真実を語ったために、ポルトガルが戦争に参戦せずに何百万人もの命が救われました。
子供達は皆に信じてもらうために、聖母マリアに奇跡を起こして欲しいとお願いします。
その間、母親から厳罰を受けたり、刑務所に入れられた子もいました。そして遂にその奇跡が起きたんでした。
自分のためだけでなく、大切な人のための祈ることがどれほどの奇跡を起こすのかをしみじみと感じさせてくれた物語です。
私はルシアの血縁の人物のひとりと会食した際に、第3の予言についての真相を質問したところ、彼は次のように答えました。
ルシアが聖母からお預かりした第3の予言は公式文書としてバチカンに保管してある上、そこに書かれていたヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件で教皇が受けた銃弾はファティマに大聖堂に奉納されているので、自分としては公開されている内容が真実だと思うとのことでした。
そして日本では第3の予言をめぐっていろいろな議論が交わされているようだが、それを考える時間よりも、世界の諸問題解決を祈ることの方が大切であり、ファティマの聖母像はそのことを象徴していると考えていると述べられました。
ファティマの聖母が現れた当時のファティマは、小さな村でしたが、現在ではカトリック信者の大規模な巡礼地になっています。
( 写真はWikipediaより引用 )
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