師から学んだ「幸福」について

幸せとは何か、生と死とは何かについては、どんな方でも1度や2度、いや一生のうち何度も思い巡らすことのあるテーマだと思います。

私にとって幸せとは何かについて胸に突き刺さるような衝撃を覚えたのは高校2年の時です。

私の高校では、2年生の時にドイツ語、フランス語、英会話の選択授業がありました。私は中学2年の頃から独学でドイツ語を学んでいたので、迷わずドイツ語を選択しました。そして講師のお名前を見て仰天しました。

何と当時私が使っていたコンサイスドイツ語辞典の編者、倉石五郎先生でした。

倉石五郎先生は日本のドイツ語界の重鎮で、私のごとき高校生がご指導を受けるには勿体無いほどの雲の上のご存在でした。若気の至りでまだ見ぬ倉石先生のお姿を想像した私は、スーツ姿で金縁の眼鏡を掛け、葉巻をくゆらせる西洋の紳士のようなお姿を想像していました。ところが教室に登壇された倉石先生は羽織袴姿で、教科書を風呂敷に包まれ、中から竹の筆巻きを取り出されました。

1学期の授業が始まりました。

「言語は音です。私が文字の書き方お伝えするまでは、答案を日本語のカタカナで書いてもよろしい。ドイツ語の音を表現できていれば合格です。」

  「世間で鉛筆書きなどというものを使ったら一人前の大人として扱われません。鉛筆は使ってはいけません。答案は全て万年筆で書きなさい。」

  夏休みが近くなりました。

  「夏休みに親の金でヨーロッパなどへふらふらと出かけて命を落とすようなことをしては絶対にいけません。親や先生より先に死ぬ者は馬鹿者と言います。私が海外に出たのは60歳を過ぎてからです。」

  やがて期末試験が近づきました。忙しくてレポートがなかなか出せないと言う生徒に倉石五郎先生が一喝しました。

  「やるべき時にやるべきことをする。それが人間の幸福というものです。」

  私が幸福ということについて、人生で最初の啓示を受けたのはこの瞬間です。

 そしてまた別の授業の時にこうおっしゃいました。

 「人間はご褒美を期待して何かをしてはいけません。」

私自身は日本に住んでいた時には何らかの消費をすることで、漠然とした退屈を紛らわせていたことに改めて気づきました。同時にリスボンに住むようになってから人の幸せとは何か、生と死とは何かについてより深く考える習慣がついたように思います。

  学生の頃に小論文で幸せとは何かについて書いたことがあります。内容は足るを知ることが幸せであるというような趣旨だったと思います。

  その後にある僧侶の方から、どのようなことにもけっして揺らぐことのない安穏な境界、それが幸福だと教えられました。

 確かに、どんな状況でも心が安定していれば常に幸福感に浸ることができるかもしれません。しかし人の生き様としてそれだけで良いのか、少々納得ができない時期が続きました。                             

  そして次に出会ったのが名著「夜と霧」を書いたヴィクトル・E・フランクルの「自分が人生に何を求めるかではなく、人生が自分に何を求めているかを知った時、人は幸福の極みに達し、死を恐れなくなる」という私にとって驚くべき思想でした。

 自分が人生に何かを求めているうちは、知らないうちに欲望が膨らみ、うまくいかない時は不平不満に陥り、いずれ迎えなくてはならない死から目を背けるのではないでしょうか。

 死を意識するからこそ生がより輝くというのは、フランクルの説く「生はいまや、与えられたものではなく、課せられたものであるように思われます。」という言葉と重なります。

 私はフランクルが語る、それまでとは正反対の考え方により、自由を求めることの不自由さと、成功や自己実現に向かうことへのある種息苦しさから解放された思いになりました。

フランクルの思想に触れたのち、先の倉石五郎先生が授業中に話された言葉を思い出しました。

 「やるべきときにやるべきことをする。これが人間の幸福というものです。ご褒美を求めて何かをしてはいけません。」

 真の意味で満たされていない心を消費や娯楽、仕事の充実感、それに連なる成功体験で埋めようとしても、それは永遠に終わらない虚しい葛藤の連続であり、暇つぶしの人生ではないかと感じています。

 かつて知った哲学者マルティン・ハイデガーの退屈論は、それまで目を背けていた退屈ということについて、私に新しい知見を与えてくれました。

 ハイデガーによると、人には3つの退屈があるそうです。一つ目は田舎の駅のホームで列車を1時間待つような退屈。2つ目は仕事をしていたら誰かからパーティーの誘いがあり仕事を中断して出席し、再び仕事に戻ってきたときにあれも一種の退屈だったと気づくような退屈、そして3つ目が休みの日に何もすることがなくて、ふらっと街に出てウインドウショッピングをするような退屈。ハイデガーはこの3つ目の退屈に向き合うことの重要さを説いています。

  毎朝柴犬を連れてベレンの塔公園を散歩します。犬がトコトコと階段を上る姿を見ていると、この犬は飼い主である私が許可する範囲でしか生涯行動することができないことに気づきます。飼い主のいないカモメも、自然環境という器の中から出ることはできませんし、餌は自分で確保しなくてはなりません。彼らはこの制限された生き様の中で幸福や自由を感じているのでしょうか。

しかしよく考えてみると、幸福や自由は人が作り出した言葉に規定される概念であり、動物は本能的に死への恐れはあっても、人が思う幸福か否か、自由か否かという尺度は持っていないと思います。与えられた環境を受け入れその時々で対峙するその潔い生き様に感動さざるを得ません。

  人が人生から何を求められているのかに気づき行動するとき、動物とは唯一異なる反応が大脳新皮質による思考と自ら生み出した文明による環境への働きかけと言えます。その一方で大脳新皮質による思考と文明で人は苦しみ、動物にはない苦悩を生み出しているわけですから皮肉なものです。

  しかしフランクルは自分は人生から何を期待されているかについて、決して禁欲的な厳格主義を説いているわけではありません。すなわち人は他律的・強制的ではなく、自発的・積極的にそれを求めていると人間の精神的無意識について説明しているのです。そこに彼の思想の救いと崇高さを見る思いが致します。

  フランクルはこう語っています。「人間的実存はその自己超越性によって最も深く特徴付けられている・・・・・・人間存在は、自己自身を超えて、もはや自己自身ではないあるものを指し示している。ある物またある者を。充たされるべき意味またはわれわれが出会う他の人間存在を。われわれが仕える事または我々が愛する人格を」(Der Wille zum Sinn,1972,S.155.)。

  テジョ川の川縁で夕陽や星空を眺めることがあります。首都とはいえ東京より遥かに夜間の照明が少なく空気が澄んでいるリスボンでは月や星々がよりくっきりと見えます。そんな時、東京の夜空ではあまり意識することのなかった、宇宙の存在を間近に感じるのです。地球の表面で大気の層だけを介して自分の身体が宇宙空間に直に接していることをより強く意識します。東京では宇宙をこれほど近く感じませんでした。

  人生は自分に何を求めているかを考えるようになってから、己の宿命や運命による呪縛や死への恐れから解放され、やがて宇宙と蜜実一体になることにより真の自由と喜びを得られるのではないかと密かに考えている毎日です。

  私がリスボンに来た意味は、異文化に触れることや生活習慣の違いを知ることだけでなく、人の生と死の不思議、幸福とは何か、そして宇宙の壮大さを感じることにあったように思います。

  タイトル画像はリスボン近郊のカルカヴェロス(Calcavelos)の海岸、下の写真は社会人になってから買い直した当時のドイツ語の教科書「新ドイツ語入門」とヴィクトール・E・フランクルの新版「夜と霧」(池田香代子訳)です。
 ちなみにドイツ語は社会に出てからすっかり忘れました。しかしリスボンで聞くドイツ人の会話には知らずと耳が反応します。

「幸福」とは常に手の内にあるもの

写真の説明はありません。

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