私は安倍元総理個人の死に関しては、深い哀悼の意を表したいと思いますが、安倍元総理個人の政治家としての実績や資質については大いに疑問に感じる次第です。
とりわけ安倍元総理の国葬は法的な観点からも、極めて不適切かつ不可解であり、その目的は改憲に向けた葬儀の政治利用としか思えません。
政治学者の石井貫太郎先生が、フランスの偉大な大統領、シャルル・ドゴールについて論文「シャルル・ド・ゴールの政治哲学」(目白大学 文学・言語学研究 第1号 2005年1月 31-47)の中で次のように述べています。
「(途中略) 加えて、彼は遺言において、大統領としての一切の国葬、叙勲、栄転などを固辞している。また、政治家としての現役時代からの給与や引退後の年金なども、そのほとんどすべては、ド・ゴールがこのなく愛し、身障者としてわずか20歳で他界した一人娘アンヌ (Anne de Galle)の名が冠せられた障害者支援基金(アンヌ・ドゴール基金)に寄付していた。
したがって、彼の遺族である夫人の手元には、陸軍准将としての軍人恩給だけが支給されたのである。20世紀最高の政治家は、20世紀最高の軍人であり、官僚であり、清貧な官僚=公僕でもあったのである。
このあたりは、自己の地位に恋恋として出処進退を誤り、異常なまでに利権や退職金の獲得に執着する凡百の日本の政治家やキャリア官僚たちにも見習って欲しいきらいがある。(以下略)」
私は日本において将来政権交代が起きようとも、選挙制度が多少変わろうとも、こうした偉大な政治家を排出する社会的土壌が醸成されない限りは、永遠に先進国には近づかないと思います。とりわけ、日本社会を白蟻のごとく食い潰す官僚制度がある限りは、その強固な利権構造から脱却することは到底不可能と思います。
かつての日本社会においては、政財官界ともに立派な人物を少なからず輩出していました。
しかし官邸が霞ヶ関の人事を掌握するまでに至った日本においては、正論を唱える人たちが左遷され、私利私欲の連帯感に支えられた似非ものリーダーが牽引する空虚な社会に変貌してしまいました。
特にポルトガルに住んでからは、経済大国イコール先進国でないことを日々実感するようになりました。
私は、日本はいまだに発展途上国、さらには経済大国からも脱落しつつあると考えます。
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