「晴子の世界一周空の旅」の著者鰐淵晴子さんは、当時天才少女ヴァイオリニストとして話題になり、さらに女優としてもご活躍された方です。
著名なヴァイオリニストの父鰐淵賢舟氏とハプスブルク家の末裔のおひとりでもあるオーストリア人の母ベルタさんの間にお生まれになりました。
鰐淵晴子さんがご家族と共に、世界一周の旅をされた時の旅行記です。昭和35年9月25日発行の初版本です。
鰐淵さんは、この本でこう語っています。
「幼い頃からの私の夢が、とうとう実現したのです。世界一周!!六十六日間で、十三ヵ国を飛びまわろうというのです。このしあわせすぎるお話をはじめて聞いた時、私はただ夢のようですぐには信じられない思いでした。しかし夢は、ほんとうになりました。世界一周!!空の旅
・・・・・・・」
14、5歳の少女にとって、夢膨らむ思いがこの一文から伝わってきます。
大阪の毎日放送テレビがテレビ番組を企画し、松下電器の松下幸之助氏とKLMオランダ航空の協力でこの旅が実現したそうです。
あとがきで、当時14、5歳だった鰐淵晴子さんは「夢のような幸運」と記されています。
私が小学生の頃、銀座の交詢社で開かれた子供向けのクリスマスパーティーで鰐淵晴子さんのお姿を拝見したことがあります。当時NHKの人気番組「ジェスチャー」を舞台の上で披露するという企画で、テレビと変わらぬその美貌と才能に子供ながらに惚れ惚れしたのを思せています。
この頃の鰐淵さんはテレビドラマ「風と樹と空と」に主演女優として出演されていました。石坂洋次郎原作の同名の小説をドラマ化したもので、福島県出身のお手伝いさん沢田多喜子役を鰐淵さんが演じたもので、毎週家族で見ていました。主題歌「素敵な明日」(作詞:山上路夫、作曲:牧野由多可)は今でも耳に焼きついています。
風と樹々、そして澄んだ空に囲まれているだけで生きていることが楽しくなるという歌詞とメロディは、青春の息吹を感じさせてくれる大好きな曲です。
レジャーやグルメを楽しむわけでもなく、何かを買って喜ぶわけでもなく、自然の息吹に囲まれて生きているだけが楽しいという歌詞の中に込めれているのは、未来への希望のように思います。
人は現状がどんなに辛くても、未来に希望がつなぐことができれば乗り越えることができるのではないでしょうか。
このドラマの時代に比べると今の社会は娯楽も消費も格段に進歩しましたが、未来への希望は乏しくなったように思います。
そんな時代だからこそ、ひとりひとりが未来への希望の灯を点し続けることが大切な時代のように感じます。
チューリッヒのリマト川にて
国際線にプロペラ機とジェット機が混在していた時代です。写真はKLMオランダ航空のプロペラ機ダグラスDC-7です。14、5歳の少女のサインとは思えぬ達筆ですね。
昭和30年代から40年代にかけての空の旅に登場するのが、航空会社のロゴが入った機内持ち込み用鞄でした。
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