リスボンへの空路

 ヨーロッパ人の間では観光地として人気のあるリスボンに日本からの観光客が少ない理由のひとつが、日本からの直行便がない点ではないかと思っています。

 現在日本からリスボンに行くには最低1回はどこかの都市を経由することになります。私共は2017年と2018年にルフトハンザ・ドイツ航空を利用してミュンヘン、次にフランクフルトを経由して入国しました。現状私の知る限りでは、現時点で東京からはルフトハンザ便を利用すると最短時間でリスボンに到着できます。2019年の一時帰国の際は、リスボンからポーランドのワルシャワ経由のルートを利用しました。恐らくその時点でリスボンから成田行きはこれが時間的に最短ではないかと思います。そして2020年の1月、ちょうどコロナの感染が話題になる前に、成田からスイス航空でチューリッヒを経由し、TAPポルトガル航空でリスボン入りしました。

  長年飛行機マニアを続けてきた私としては、搭乗便の機種が気になるところですが、ルフトハンザの羽田-フランクフルト線では私の最も好きな旅客機ボーイング747-8を使用しています。2019年に初飛行からちょうど50年のを迎えたボーイング747ですが、改良を重ねた最新のB747-8はまさに熟成の極みのハイテク旅客機ではないかと思っています。ちなみにミュンヘン線はかつてはA340-600、現在は最新のA350が就航しています。

 ボーイング747が好きな大きな理由のひとつとしてエンジン4発機という安心感があげられます。各国のVIP機も危機管理上の理由から4発機を採用している。米国はB747-200、ドイツはA340、ロシアはイリューシン76などなど。日本の政府専用機が最近双発機のB777を採用したと聞いて驚いきました。

 あくまでも私的な感想ですが、B747の方が同じ4発機の超大型機エアバスA380より乗っいてどこかゆとりがあるような気がしてなりません。基本設計が古いだけに、少なからず冗長なところがありそれがゆとりを感じさせるのでしょうか。ちなみに機内持ち込み荷物の多い方(前回の私たちも同じ)は、ルフトハンザのB747-8のビジネスクラスであれば2階の窓際を指定すると快適です。窓とシートの隙間に小型のスーツケース2個がすっぽり収まる収納庫が用意されているからです。1階席のビジネスクラスにはこれがありません。ただしA380のように2階席に直に搭乗できないB747は、重い荷物を持って階段を2階まで上がらなくてはなりません。

 その次にお気に入りなのはスイス航空のチューリッヒ経由便です。前回はルフトハンザかスイス航空かは迷いましたが、スイス航空が成田発なのに対して、ルフトハンザが羽田発なので四谷に住んでいた私たちにとってはルフトハンザに軍配が上がりました。同じく成田発のアエロフロートのモスクワ経由便もありますが、モスクワからリスボン間の飛行時間が少々長く機体も小さいのが難点かもしれません。

 その他、ロンドン、パリ、ブリュッセル、コペンハーゲン経由など欧州の主要都市を経由するいくつかのルートがあります。欧州内での乗り換え以外では、中東のドバイを経由するエミレイツ航空の便もありますが、このフライトのメリットはビジネスクラスをリスボンまで通しで乗れば、欧州内が経由地の場合には避けられない欧州内国際線の狭いシート(私は「なんちゃってビジネスクラス」と呼んでいます)を回避できる点です。家内は羽田-フランクフルト間のフルフラットシートで熟睡できれば、フランクフルトーリスボンの「なんちゃってビジネスクラス」は我慢できると言っていますが、私はこの3時間の狭さが何とも落ち着かないのです。運動不足に加え、日本時間では早朝に当たる時間帯にディナーが提供されてもこの窮屈さではさほどありがたくないのです。

 ただし例外があります。2019年1月にチューリッヒからリスボンまで乗ったTAPポルトガル航空のA330-900neoのビジネスクラスは何と横4列で全ての席が通路に面していて、座席もフルフラットになりました。もっと長く乗っていたかったほどです。

 ところで東京の出発が早い便に乗ると、欧州のどこかの都市に現地時間の夕方に到着し、乗換えた後にリスボンに到着するのは早くて午後9時30分過ぎくらいになります。

 リスボンへの着陸は、北風の際にはリスボン旧市街の真上を通過して滑走路にアプローチします。大阪の伊丹空港のように、市内を南から北に縦断するのです。リスボン市内は夜間でもネオンサインが皆無に等しいため、アンバー色の街灯が石造りの建物に反射しているだけです。窓の下に見えるのは実にひっそりとした夜の街です。国際空港としては規模は小さく滑走路は2本ですが、メインの滑走路が4000メートルあるのが心強いと言えます。そこで逆噴射も使わずに、滑走路のかなりの長さを残して誘導路に入ります。
 入国審査をEUの経由地で済ませていれば、リスボンでの入国は預入荷物があればそれを受け取るだけの実にあっさりとしたものになります。

 リスボン国際空港からリスボンの中心部までの距離は短く、日本で言えば福岡空港から博多市内という感じでしょうか。

 空港が近いだけに、リスボン市内では至る所で飛行機の離発着を見ることができます。最近の旅客機はエンジンの音が静かになったのであまり気になりませんが、これが半世紀前の第1世代、第2世代のジェット機の時代は、かなりの騒音だったに違いありません。
 
 ところで私が最初にヨーロッパを訪問した70年代は、日本から欧州への航空ルートと言えば、アラスカのアンカレッジを経由する北極周り便、モスクワを経由するモスクワ経由便、そして東南アジア、インド、中東を経由する南回り便の3通りがありました。それに加えてスカンジナビア航空は独自に中央アジアルートというのを開設していました。ちなみに北極ルートを開設した先駆者がスカンジナビア航空です。磁石が役に立たない北極圏の飛行のために「ポーラー・グリッド地図」や「北極通過ジャイロコンパス」、そして乗員の厳しい訓練と北極圏で緊急着陸した際の装備を開発したそうです。

 南回り便ではプロペラ機の時代に50時間以上かかっていた日本と欧州間ですが、北極ルートの開設、さらにジェット機の登場で飛行時間は一気に短縮しました。モスクワ経由便も当時のソ連との関係や航続距離の問題が解消した後は、今のように日本から欧州まで直行が可能になりました。

 私は1957年(昭和32年)生まれですが、プロペラ機全盛の世代ではありません。幼稚園の頃に東京ー大阪間をプロペラ機に乗りましたが、国際線についてはジェット機になってからです。。昭和一桁の父の世代の海外渡航は、プロペラ機からジェット機への過渡期でした。父を羽田に見送った際に見かけた国際線の旅客機はダグラスDC-8やボーイング707が主流でしたが、プロペラ機のロッキードコンステレーションも羽田で翼を休めていました。1度だけ父がBOAC(現在の英国航空の前身)のブリストル・ブリタニアという4発プロペラ機で米国から帰国したことがあったように記憶しています。当時は世界一周ルートを欧州を含めた大手の航空会社が開設していて、英国のBOACも太平洋を横断していたのです。

 地元のTAPポルトガル航空が日本を含めた極東ルートを開設するのはまだ遠い先ではないかと思っています。パリやロンドンなどに比べれば旅客需要が少ない上、国全体がまだまだフランスやドイツほどの経済先進国ではないからです。地元の人に聞くと、ここ30年くらいでリスボンという都市の規模がどんどん大きくなり、首都圏が相当広がっているとのことです。私も車で市内から遠ざかると高層マンションの林立するエリアでそれを感じます。

 私個人としては、経済成長すること自体は歓迎すべきことですが、これまでの経済先進国のような発展の道をたどらないで欲しいと密かに願っている次第です。

 そんな思いで、リスボンの街を離発着するTAPポルトガル航空の機体を日々眺めています。
  

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