ポルトガルで困ったこと困らなくなったこと

いくつかの投稿で、私にとってポルトガルは暮らし易い国であることをお伝えしてきました。そうは言うものの、たとえ暮らし易い国でも、困ったことはあります。今回は、ポルトガルに来て私が困ったことをお伝えしようと思います。

 物事の良し悪しを判断するのは、自分が生活してきた環境とそこで培われた価値観を基準にすることは大半かと思います。しかも判断の際には理性だけではなく少なからずその時々の感情も介入してきます。 私もポルトガルに来た時はあれっと思ったことも、今はそのことすら忘れていることが少なくありません。そのため、過去の時点では困ったことが今は困っていなかったり、今困っていることも将来困ったことではなくなる可能性があることを先にお伝えしておきます。

 まず最初はコンビニです。 少なくとも私が知る限りポルトガルには日本のようなコンビニはありません。夜仕事をしていて「インク消しが見つからない」、あるいは「ボールペンの替え芯がない」時に東京だったら徒歩4分のところにファミーマートがありました。たとえそのお店になくても、道路の向かい側にもファミリーマート、さらに数十メートル歩けばセブンイレブン。 ああ、日本って、何て便利なんでしょう! リスボンの私の住む地域には、文房具屋さんとスーパーがそれぞれ1軒、インク消しを売っているかどうかはわかりません。数十メートル歩けばコンビニに当たる東京と違って、次のスーパーにたどり着くのにどれくらい歩くのか。ところがこの一見不便な状況で生活していると、その環境に合わせた生活をするようになるのです。

 インク消しが無ければ、もう1枚コピーして書き直す、コピーできない書類の場合はインク消しを手に入れるまで保留するなど、何とか間に合わせるようになるものです。 では、コピーはどうするか。現地で複合機を調達するまでは、近所のカフェでコピーサービスを利用していました。しかし土日祝日はお休み。日本のコンビニのように年中無休、24時間というわけにはいきません。しかも操作に慣れない初老の女性が受付にいる時は、こちらも四苦八苦しながら手伝わなくてはなりません。そんな時たまたまコピー機の操作に慣れた女性が外出先から戻ってくることもありますが、そうでないこともあり、こちらも成り行きまかせです。 この”成り行きに任せる”こともポルトガルでの生活には大切だと気づきました。 成り行き任せ! 理屈っぽくてガチガチの頭の私にとって、まさに人生におけるコペルニクス転換と言えます。成り行き任せ!もう、まさに私の人生における革命です!

 さて、そうは言ったものの日本から複合機が届くまで待てないので、現地で同等の機種を買うことにしました。ポルトガルにも日本のような大手家電量販店があり、そのお店のインターネット通販を利用することにしました。在庫は3台、それも1台つづ町の小さな電気屋さんに在庫が置いてあると表示されていました。 量販店を介して、町の小さな電気屋さんから届いた日本メーカー製の複合機、海外モデルだから日本語は無理としても英語の言語設定くらいはあると思いきや、何とラテン系の言語の設定しかなかったのです。 イタリア語、フランス語、スペイン語、そしてポルトガル語。ちょっとだけ知っているフランス語か1日だけ学習したイタリア語にしようかと思いましたが、先々のことを考えてポルトガル語を選択、メニューが出るたびに翻訳ソフトで意味を確認しながらの設定と操作です。ああ、面倒くさい! ところが、それから数ヶ月、今ではメニュー画面にメッセージが出ても、単語の意味ではなくその単語の「形」からパッと瞬時にボタンを押せるようになったのです。ポルトガル語が全くわからないのに何と「単語の形」だけでコピー機を自由自在に操る、超能力者にでもなったかのような密かな優越感!しかも日本では超レアな、日本語も英語も使えないラ・テ・ン、バージョン!ああ、ポルトガルに来てよかった!  

 さて「在庫3台」の続きですが、日本に比べると、いろいろなジャンルのお店において、抱えている在庫は少ないように思います。例えば近所の薬局。薬を買いに行って例えば2箱下さいというと、今は1箱しかないとよく言われます。取り寄せをお願いすると明日11時以降に届くとのこと。来週まで届かないと言われたことは1度しかなく、よほどの急ぎでない場合はこれで間に合います。最初から「明日11時以降」を頭に入れて薬局に行けばいいのです。よく考えてみたらほど急ぐ時でなければ、1日くらい待てるのです。 日本にいた時の、在庫があって当たり前を、1日待つに切り替えれば良いのです。 次に近所のスーパーへの買い物。 お目当のチョコレートを買いに行ったら、在庫なし!しかも1週間待っても2週間待っても入荷せず。日本のコンビニだったらありえない現象です。そして3週間目に行ったら、同じ棚に今後はキャラメル入りの別のチョコレートが入荷し、これを買って帰ったら非常に美味しかったのです。しかも3週間お目あてのチョコレートを食べなかったので、健康にも貢献できました。

 人生、何が幸いするかわかりません。成り行き、成り行き!これも人生。 一方で私にとってコンビニがないことのメリットもあります。60歳を過ぎても大食の私は、インク消しを買ったついでに、菓子パンをついでに買ってきたり、レジの近くに置いてある食玩のミニカーを買ってしまったり、こうしたリスクが皆無な点です。なければないで済むとことを経験すると、日本では必要のないものをずいぶん買っていたことに気づかされます。

 さて在庫が豊富というボリュームの世界と、数は少ないものの種類が豊富という少量多品種という2つの世界。日本に住んでいた時は、どちらかというと前者の有り難さに浸っていたように思います。ポルトガルではボリュームは少ないものの、その選択肢の多さに驚くことしばしばです。 小さな屋台のバーにびっくりするほど豊富なお酒が用意されていて、しかも紙コップではなくグラスで供されることに驚きました。そして一つ一つの手間のかけ方は日本の比ではありません。カフェで注文するジュースにしても、目の前で果物を丸ごとジューサーで絞る事は当たり前です。近所のスーパーでも生のオレンジが山積みになったセルフサービスのジューサーが設置してあります。その上、こんな場所にこんなお店があることに驚くことしばしばです。 拙宅の近所にしても、最初来た時はひっそりとして何にもないように感じた路面電車通りに、60年台のレアなミニカーを売っているお店があったり、何と旅客機のフライトシミュレーター(模擬飛行訓練装置)を体験させてくれるお店までありました。夜犬を散歩していたら、遠くに旅客機の操縦室のカラーパネルが見えた時はわが目を疑ったほどです。 ポルトガルに限らず、これは欧州全般に言えることかもしれません。日本のように大きな看板が出ている場所が数ないので、よく見ないと通り過ぎてしまうお店に珍しいものを見つける事がしばしば起こります。 ポルトガルの通りでは、ゆっくり歩いて、一軒一軒「よく見る」ことが大事です。先ほどのミニカーのお店も普段はシャッターが閉まっている間口の狭いお店で、週に1度か2度開くので、たまたま犬の散歩中に見つけたのです。

 さて、次は主に対面でサービスを受ける際についてです。 あえてリスボンに住んで困ったことと言えば、時間にルーズな人に時々出会ったり、仕事のつめが少々甘く感じる時があことです。ところが日本だと間違いなく腹がたつ状況でも、その人柄のせいか許せてしまうことが多いです。リスボンでの生活が長い日本人の方も、この地で心根が良くない人、意地悪な人に出会う事は滅多になかったとのことである。 郷にいれば郷に従えと言う言葉がありますが、先ほどの時間にルーズなのは人間社会のルールとして良くないので、相手が時間に遅れた際は必ず指摘するようにしています。こんな時でも相手は言い訳をせずに素直に間違いを認め、この間などは私の目の前で陳謝して、次の約束の日時を自分の携帯のアラームにセットして何度も確認する人もいました。 ラテン系の人の特徴で、やはりのんびりとして細かいことにはあまりこだわらないのかもしれません。

 しかしその一方でポルトガル人に限って申し上げれば生真面目で一生懸命に物事に取り組む姿が、多少のルーズさを許せてしまうのではないかという気がしてきました。 現地に長く住む日本人の方からは、日本人はどこかお人好しのところがあって、主張すべき時に主張しないでおくと、後から「あの時言わなかったから」と相手から言われて後悔するので、そこは気をつけるようにともアドバイスを受けました。そして日本に比べると、かなり激しく主張したとしても相手から恨みつらみを買うことは滅多にないので、言うべきことははっきりと言いなさいとも言われまいた。 ポルトガル人の親しい友人からも、現場のスタッフが怠慢で言うことを聞かない時は、ボスに言いつけなさいと言われたので、ある時そのボスに抗議を申し入れたところ問題が解決しただけでなく、恨みつらみを買うどころかむしろフェアで良好な関係を築くことができました。 日本の「罪を憎んで、人を憎まず」と言うことわざをふと思い出した次第です。 ポルトガルに長く住む日本人の方によると、カソリックの教義教理を厳格に守っている人は現在では少なくなってはいるものの、やはり子供の頃からのキリスト教文化が背景にある家庭での躾や教育が、ポルトガル人の正直さにつながったのではないかと言っていました。

 そして最後に言葉の問題です。リスボンは英語を話せる人が多く、それに甘えてポルトガル語の学習を全くしてません。それでもポルトガル語の環境の中にいると、ちょっとずつ単語を覚えるものです。スーパーのレジで、「サッコ?」と聞かれて、最初はサッコって何だ?、サッ子って言う日本人の前か?私はヒデオだよ。などと自問自答しているうちに、相手の身振り手振りから、サッコ(saco)がレジ袋のことと気づくような具合です。対面でのコミュニケーションのうち言語が占める割合は20%以下と聞いたことがありますが、わかるような気がします。レジで「これで全部?」の「tudo?」もフランス語の「tout」から多分そうだろうと推測して当たり! こうして覚えた単語は、天才バカボンのパパ流の表現で申し上げれば「忘れようとしても思い出せない」ほど記憶に定着します。広告の文字にしても英語やフランス語から意味を推測して「当たり!」のケースがだんだん増えてきて、知らないうちに聞こえてくる、見えてくる状態になってきました。そうは言うものの、そろそろポルトガル語の学習しないことにはこの先の進歩はないでしょうね。 私も含めて、日本人の多くは文法中心の語学学習のトラウマを抱えていることを常々感じます。ポルトガル人の知り合いで中国語を知っていると胸を張って言う彼に、どのくらい知っているかを聞いたら、挨拶だけと聞いて驚いたことがあります。電話会社のサポート電話では、英語を話せるスタッフと伝えたら、日本の中学1年生くらいの会話しかできないスタッフが出てきて驚きました。しかしもっと驚いたのは、一生懸命こちらの言うことを理解して、最後は私の要件を確認するところまでたどりついたことです。コミュニケーションという点では、いい意味で少々図々しく、積極的に言葉を発することの大切さを学んだ思いが致します。 ポルトガルでポルトガル人の生真面目さと優しさに触れ、さらに成り行き任せの大切さを学び、ポルトガル語で挨拶ができるようになった、すなわちポルトガル語がペラペラになった私の体験談でした。   (写真は世界遺産ベレンの塔と、公園に集うカモメたちです)

104Nico Wadagaki、Masao Mamekawa、他102人コメント9件いいね!コメントするシェアアクティブ

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