ドナルド・トランプの勝利を確信


  日米のマスメディアはアメリカの大統領選はトランプとハリスの接戦と報じていますが、本当でしょうか。

 利益相反のない日米の複数の識者からの情報で、私は偏向報道と捉えています。

 ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNなどが、民主党に多額の献金をしているウォール・ストリートの配下にあるからです。

 日本のメディアもそれに倣えということでハリスを持ち上げる類似の報道を繰り返しています。

 実際は、このままの展開が続き、前回のような不正選挙さえなければ、ドナルド・トランプの圧勝ではないかと思います。

 特にかつては民主党だったロバート・ケネディ・ジュニアが無所属での立候補を断念し、共和党支持になったことも大きな要因かと思います。

 トランプが再選された際は、早くからワクチンの薬害を世間に周知してきた、ロバート・ケネディ・ジュニアが政権の重要ポストに就き、ワクチン問題を徹底的に追求することが期待できます。

 ドナルド・トランプほど日米のマスメディアにより正反対の印象操作をされた人物も珍しいと思います。過激な発言のみ切り取られ、彼の冷静で重要な演説は日本では一切報道されないことに驚くばかりです。

 実際のドナルド・トランプは敬虔なクリスチャンで、お酒もタバコも一切嗜まず、平和主義者、反人種差別主義者であるということが日本では全く知られていません。

 アメリカでは多数の熱狂的な支持者に支援されています。特に黒人、ヒスパニックの支持層が厚いです。

  支持率に関しては、経済アナリストのジョセフ・クラフト氏が賭けサイトRCP Betting Averageが最も実態を反映していると言っていました。
 それによると7月下旬の時点で、トランプ56.7.%,ハリス35.9%とのこと。激戦の7州でも全てトランプが2ポイント以上回っていますから、現実に近い数字ではないかと思います。

 カマラ・ハリスは米国内で知名度が低い上、国民からの人気も高くありません。その理由の一つが、重要な話やメディアからの質問に対して高笑いで誤魔化すところにあります。

 米国在住の国際政治アナリスト伊藤貫氏によると、副大統領に就任後3年以内に、およそ9割の部下が辞任したとのことです。
 理由はハリスの政策に対する勉強不足にあると言われています。元々検事出身で、政治家になったのは2019年からで、特に外交の経験と能力においてはアメリカ大統領を任せられるような人物ではありません。

 司法長官を務めていたカルフォルニア州は現在犯罪が多発し、サンフランシスコですら危険な街になりました。 
 バイデン政権の副大統領として、不法移民対策を任されたにも関わらず長期間放置し、年間約700万人以上の不法移民がメキシコ国境を越えて入国し、現在アメリカ国内の大きな混乱を招いています。不法移民問題は日本で報道されているよりはるかに深刻です。

 一方、トランプはビジネスで培った優れた交渉能力で外交に関しては大いに期待できる上、前回の政権時代もメキシコ国境の壁を作るなど、不法移民対策においても大いに期待できます。

 トランプ政権時代の好景気はバイデン政権になってから急降下し、人種間の融和も後退しアメリカ国民は大きな不満を感じています。
 今回の偏向報道を見るにつけ、ウォール・ストリートとシリコンバレー、ハリウッドによる民主党への政治献金の力とマスメディアへの圧力を感じざるを得ません。背後にはグローバリスト集団の存在を強く感じます。 

 日本に比べると実生活の中でトランプ政権時代とバイデン政権時代の違いを見に染みて感じているアメリカ国民の方が、トランプの真実をよく理解していると思います。

 それが故に、バイデン政権がトランプに対する冤罪やスキャンダルをでっち上げる度に、トランプの支持率は上がる一方です。

 今秋のアメリカ大統領選においては、前回のような不正選挙だけは回避してほしいのと、ドナルド・トランプの再選とアメリカの復活と混乱の回避を期待します。  

 トランプの主張する「偉大なアメリカ」が具体的に何を指しているのかは私の知る良しもありませんが、私にとっての古き良き時代のアメリカとは50年台から60年台後半にかけての黄金時代です。

 日本の敗戦と同様、ベトナム戦争による経済の疲弊と国内の分断はその後のアメリカの命運に大きく影響したと思います。

 最後に黄金時代に上り詰めつつあった古き良き時代のアメリカにおける一つのエピソードをご紹介します。以前にもご紹介しましたが、再掲させていただきます。

 私財を投げ打って、世界の難民問題に取り組まれた故犬養道子氏(評論家、犬養毅(いぬかいつよし)元首相の孫)の若い頃の実話です。
 南蔵院の林覚乗住職の心に響く言葉より引用させていただきます。
 戦後間もない頃、日本人の女子留学生が一人、アメリカのニューヨークに留学した。戦争直後の、日本が負けたばかりの頃なので、人種差別やいじめにもあった。
 そして、とうとう栄養失調になってしまい、体にも異変を感じ、病院に行ったところ、重傷の肺結核だと言われた。戦後まもないころ、肺結核は死の病と言われた。
 思い余って医者に、どうしたらいいか聞いたところ、「モンロビアに行きなさい。そこには素晴らしい設備を持ったサナトリウム(療養所)があるから」と言われた。
 飛行機がまだ発達していない時代、ロサンゼルス近郊のモンロビアは、ニューヨークから特急列車で5日間もかかる距離だった。
 当時、汽車賃さえない彼女は、死ぬよりはましだと、恥ずかしい思いをして、知人や留学生仲間に頼み込み、カンパしてもらって、列車のお金を集めた。
 しかし、食料までは手が回らず、3日分を集めるのがやっとだった。治療費は、日本にいる両親が、家や田畑を売り払ってもなんとかするから、という言葉を証明書代わりに、列車に乗った。
 列車では、発熱と嘔吐が続き、満足に食事もできなかったが、それでも、とうとう3日目には、食料がつきてしまった。 そして、なけなしの最後に残ったお金を出し、車掌にジュースを頼んだ。ジュースを持ってきた車掌は、彼女の顔をのぞきこみ、「あなたは重病ですね」と言った。
 彼女は、「結核となってしまい、モンロビアまで行く途中ですが、そこまで行けば、もしかしたら助かるかもしれない」、ということを正直に話をした。車掌は、「ジュースを飲んで元気になりなさい。きっと助かる」とやさしい言葉をかけてくれた。
 翌日の朝、車掌が、「これは私からのプレゼントだ。飲んで食べて、早く元気になりなさい」と言って、ジュースとサンドイッチを持ってきてくれた。
 4日目の夕方、突然車内に放送が流れた。
 「乗客の皆さま、この列車には日本人の女子留学生が乗っています。彼女は重病です。ワシントンの鉄道省に電報を打ち、会議してもらった結果、この列車をモンロビアで臨時停車させなさいという指令がきました。朝一番に止まるのは、終着駅のロサンゼルスではありません」
 これは、現在で言えば新幹線を臨時停車させるくらい大変なことだ。次の日の夜明け前に、モンロビアに臨時停車し、他の乗客に気づかれないように静かに駅に降りたところ、そこには車椅子を持った看護婦さん達が数人待機していてくれた。
 車椅子に乗せてもらい行こうとしたら、なぜか列車がざわざわしているので、振り返ってみてびっくりした。一等、二等はもとより、全ての列車の窓と言う窓が開き、アメリカ人の乗客が身を乗り出して口々に何か言っていた。
 最初は、日本人である自分に何か嫌なことを言っているのかと思ったが、そうではなかった。名刺や、住所や電話番号を書いた紙切れなどに、ドル紙幣をはさんだものが、まるで紙吹雪のように、投げられた。
「死んではいけない。きっと助かるから、安心しなさい」、
「人の声が聞きたくなったら、私のところに電話をかけてきなさい」、
「手紙を書きなさい。寂しかったら、いつでもいいよ」と口々に声をかけてくれていたのだ。
 彼女は、4.5メートル先に停(と)まっているはずの列車が涙で見えなかったという。
 結局、3年間入院したが、その間、毎週毎週、見知らぬアメリカ人が見舞いに来てくれたが、これも列車の乗客だった。
 そして、3年間の膨大な手術費と治療費を払って出ようとしたら、乗客の中の一人のお金持ちがすべて匿名でお金を払った後だった、という。
(以上『であい』南蔵院講演CDより)

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