シャルル・ドゴールが大統領を務めた1960年代を、最もフランスらしい時代と考える年配のフランス人は少なくありません。シトロエンDSがシャンゼリゼを走り抜け、オルリー空港をシュド・キャラべルが飛び立ち、男と女 (Un Homme et Une Femme)が一世を風靡した時代は、確かにその通りだったと思います。そして何と言っても、シャルル・ドゴールの圧倒的な存在感がその時代のフランスのあり方を象徴していたのでしょう。
アメリカにおいても50年代から60年代が全盛期と言えるでしょう。フルサイズのアメリカ車、プレスリーやフランク・シナトラ、ハリウッド映画。
一方、ジョン・F・ケネディの暗殺、公民権運動の中心にいたキング牧師とロバート・ケネディの暗殺、そしてベトナム戦争の泥沼化で、アメリカは徐々に自信を失っていったように思います。かつての民主党は今はありません。
一方私は日本の高度成長期だった1960年代を日本で過ごしましたが、この時代が私にとって日本の一番ワクワクする時代でした。日曜日の朝は、トーストと紅茶の香りが漂う中、兼高かおる世界の旅を見るのが我が家の習慣でした。
第三京浜が開通し、用もないのに父は家族を車に乗せて横浜までドライブしました。
この時期は団塊の世代が青春時代を謳歌していた時代ですが、日本グランプリの開催、東京五輪、東名高速、グループサウンズ、六本木族、キャンティ、1970年の大阪万博の時代に向かって経済は高度成長、海外旅行の自由化など日本人の生活がどんどん豊かになり、同時に刺激あふれる時代でした。私の青春時代は70年代から80年代でしたが、60年代に青春時代を迎えた団塊の世代が羨ましいと思うことは今でもしばしばあります。
70年代以降、特にオイルショック以降の世界はそれまでの勢いは失せて、迷いの時代に入ったように感じます。80年代後半のバブル、90年代のバブル崩壊後は何か社会を牽引する求心力や将来への希望が失せたような気がします。またグローバル化により世界が均質化し、さまざまなものが持つ個性がどんどん失われているような気がしてなりません。
現代はインターネットの発達、電子機器の普及で、生活が合理化されました。しかしそれを維持するための労力が発生し、また合理化で失ったものも少なくありません。日本においてもかつてより地域社会のつながりは希薄になり、大型店舗の進出で馴染みの商店での会話は減り、かつての御用聞きは消滅しました。
果たして、経済的合理性、人手を省くことが人を幸せにするでしょうか。今にしてみると変えなくていいもの、変えてはいけないものまで変えてしったのが現代のような気がします。それが故に、社会に生きる我々はかつてはなかった疎外感を感じるようになったのではないでしょうか。
今、誰にも必要なのがかつて抱いたことのある未来への夢と希望ではないでしょうか。
60年代と同じような夢を追うことは今の時代にあっては無理かもしれませんが、あのワクワク感だけは取り戻したいと考える昨今です。次なる夢の時代はどんなものになるのでしょう
か。
幻のレーサー福澤幸雄
ホテルオークラ旧本館
ホテルニューオータニ、フェアモントホテル
60年代、夕暮れの表参道。ススキフロンテ800の広告写真。
WebCG これっきりですカー第19回:『ハンドメイドの大衆車』スズキ・フロンテ800(1965〜69)(その4)より引用
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