小林彰太郎先生を偲んで

 

 自動車評論界の重鎮、小林彰太郎先生は2013年10月28日にお亡くなりになりました。
 小林彰太郎先生は、ライオン歯磨・石鹸(現ライオン株式会社)の創業家一族のおひとりであられ、東京大学在学中に自動車ジャーナリストを生涯の仕事とお決めになりました。CARグラフィック誌の初代編集長を務められ、まさに日本における自動車評論の草分け的存在であられました。日本のモータリゼーション黎明期にCARグラフィック誌が登場したことは、我が国の自動車文化に大きな影響を与えた事は間違いありません。

 小林彰太郎先生と成蹊学園で同級生だった濱素紀先生のご子息と、私が成蹊学園で同級生だったため、濱素紀先生のお宅に年中お邪魔して自動車について学ばせていただきました。その広大な敷地には濱素紀先生の父上で日本クラシックカークラブ初代会長であられた濱徳太郎先生のご自宅とクラシックカーの数々や、大学教授でカーデザイナーの濱素紀先生のFRPボディー工場などもあり、自動車好きの私にとって夢のような場所でした。

 濱徳太郎先生には、ご自宅で貴重なクラシックカーを拝見させていただいたり、濱素紀先生にはモーターショーの会場をご案内いただくなど、小学生には過分なおもてなしを頂戴しました。

 そんな懐かしい昔話を御殿場のCG FESTA 2012の会場で小林彰太郎先生と奥様を交えて談笑させていただきました。もっといろいろなお話をお伺いできればと家内といつも話していた矢先の小林先生の訃報は本当にショックでした。

 小林先生と直接お話する機会はもうありませんが、先生の文章を通じてこれからも先生とずっと対話できそうな気が致します。

                                   合掌。

CG FESTA 2014の会場にて

CG FESTA 2012の会場にて

CG FESTA 2014の会場では、故小林彰太郎先生の奥様とご長男ご夫妻とお話させていただ来ましたが、そばで小林先生が見守ってくださっているような不思議なひと時でした。展示の目玉は小林先生の愛車「ランチア・ラムダ・トルペードー」「ライレー・ナイン・ブルックランズ」。特にランチアは「ただ1台のクルマとしか暮らせないのなら、これしかない」と小林先生に言わしめた名車です。

 2014年はカーグラフィックTV30周年ということもあり、会場で松任谷正隆氏、田辺憲一氏をはじめ錚々たる方々と同じ空間を共にできる幸せを実感しました。

 その他、実質的にエンツオ・フェラーリの後継車となるフェラーリ初の市販ハイブリッドカー「フェラーリ・ラ フェラーリ」、往年のロータスエラン、懐かしいアルファスッドなど雨の中を傘をさすのも苦にならなりませんでした。

 当日は箱根に一泊、峠道のドライブを楽しみました。

CG FESTA 2014会場風景

ロータスエランは、小学生の頃の憧れの車でした。当時のテレビドラマ「レーサー」に登場しました。

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