ファティマの聖母で知られるファティマ(Fátima)を訪問しました。1917年5月13日、3人の牧童の前に聖母マリアが出現し、以降10月13日に至るまでの間、さまざまなメッセージを伝えました。10月13日には太陽が不思議な運動をする様子を、7万人の観衆が目撃し、新聞にも掲載されました。
このファティマの奇跡はバチカンが公認し、聖母マリアの言葉通りに大聖堂が建設され現在では世界中から100万人ものカソリック教徒が巡礼に訪れる聖地となっています。牧童の名前は、ルシア・サントス(Lúcia Santos)(当時10歳)、フランシスコ・マルト(Francisco Marto)(当時8〜9歳)、そしてフランシスコの妹のジャシンタ・マルト(Jacinta Marto)(当時7歳)です。
聖母は牧童に3つのメッセージを伝えました。1つ目は死後のおける地獄の存在、2つ目は大戦争の終焉と勃発、そして3つ目は1960年になってから公開するようルシアに命じられた第3の秘密です。ところが1960年が過ぎてもバチカン教皇庁は公開せず、発表されたのは2000年になってからのことでした。それによれば第3の秘密は教皇暗殺の危機とのことでした。すなわち1981年5月13日に発生したヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件です。これに関しては疑問視する声も多々ある中、私はルシアのファミリーのひとりに尋ねたところ、バチカンからの公式発表であり、さらに暗殺未遂事件の際の銃弾は大聖堂に奉納されていることから本当であるとの見解でした。そのことを探究することよりも、世界の平和に祈りを捧げる方が大切と意見を述べられていました。
私たちはルシアの姪孫の案内で最初にフランシスコとジャシンタの生家を訪れました。
フランシスコとジャシンタ兄妹の生家。ここに当時11人の家族が暮らしていたとのことです。
玄関の向かって左側でこの写真が撮影されました。
次に訪れたのは、ルシアの生家です。
ルシアの生家。
ルシアの生家にある羊小屋。ここで羊の世話をしていたのかと思うと感無量でした。
ルシアの生家を後にすると、ファティマの聖母が出現する前の年、子供たちの前に14、5歳の天使が2度目に現れた場所に向かいました。
そこにはコルクの木と、近くのオリーブ畑には羊が放牧されている、エデンの園を想像させるような心休まる場所でした。
そして私たちは巡礼の道を途中まで歩きました。カソリック教徒が巡礼に訪れす際は、膝を擦りむきながららも、躄り(いざり)ながら前に進む人もいるそうです。
昼食の後、大聖堂に向かいました。
続いて、聖母マリアが出現した場所に建てられた出現の礼拝堂(Capelinha das Aparições)に向かいました。
出現の礼拝堂(Capelinha das Aparições)。聖母マリア像の位置が、聖母が出現した場所とのことです。
ファティマ大聖堂。左手手前の明るい建物が、聖母マリアがご出現された場所に建てられた出現の礼拝堂(Capelinha das Aparições)です。
ファティマ大聖堂と出現の礼拝堂の聖母マリア像の頭上には、冠が輝いています。
この冠のオリジナルが大聖堂近くの博物館に展示してあります。
冠の上部には、ファティマ第3の予言における1981年5月13日に起きたヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件で使用された銃弾が埋め込まれています。
冠は事件のはるか昔に作られたものですが、冠を加工することなく銃弾を組み込むことができたそうです。
冠の上部の球体部分の下に銃弾を見ることができます。
リスボンからファティマまではSete Riosなどから出ているバスが便利です。約1時間30分ほどで到着します。終点がファティマでないバスもありますので、ファティマで下車するのを忘れないようにしましょう。
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