人は生きているだけで価値がある

 画家の岡本太郎氏が、戦時中の満州で体験したことを著書の中で書かれています。岡本太郎氏は30代で帝国陸軍兵として中国戦線へ出征、厳しい兵役生活を送りました。その際に上官に殴られて地面に叩きつけられた時、目の前で咲いている一輪の花に感動したそうです。
 果てしない荒野で誰に見られることなく、無目的に一生懸命咲いているその姿に感動したのです。

 植物も、動物も、魚も、鳥も、他から評価されたり、計測されることを目的に生きているわけではありません。それどころか、誰にも知られずにひっそりと生まれ、そしてひっそりと生涯を終える命もあります。人も同じです。人は生きているだけで価値があります。生きることは、自身の意思で決定するその存在そのものが尊いのであり、己以外のものがとやかくその価値を評価したり、生き様を指図できるものではありません。
 
 能力があるから、社会的地位があるから、財力があるから価値があるのではありません。人知では計測不可能なその存在自体に人間本来の価値があります。

 産業革命以降、社会は人の間違いに不寛容になりました。工場で同じ品質のものを大量生産するには、オリジナリティより作業と品質の無びょう性が求められたからです。もちろん間違いを犯してはいけない職務や場面はたくさんあります。しかし多くの場合人の成長や社会の安定のために、試行錯誤による進歩と調和は必須です。特に教育においては、仮説を提示し検証する作業が大切です。あらかじめ回答が決まっているものの解決法や記憶力だけが求められる日本の学校教育においては、子供の創造力は育ちません。疑問を抱かずに決められた手順を遂行する生産性に長けても、未知の領域を切り開く意思はどんどん削がれてゆきます。マークシートなどはその典型で、これなら出来の悪いロボットにでもできます。
 近年人の価値を生産性で測ったのはナチス・ドイツです。収容所では働けなくなったものが、真っ先にガス室に送られました。
 
 人の価値はその能力でも生産性でもありません。生きているその存在そのものに価値があります。 

 それでは、人はただ生きているだけの存在になってしまうのではないかと言う人もいます。そんなことはありません。あらゆる社会的洗脳から解き放たれて、自分は生きているだけで価値があることに気づいた時、人は天命とその目的に気づくのです。無為な拘束から解き放たれ内在する無尽蔵のエネルギーを駆使できるようになるからです。

 他者と比べる、自分の願望より社会的評価を優先する、やがて迎える死に向き合わずに無限の富や快楽を追求する、こうしたことによる自己限定が個々人の苦悩と社会の憂鬱を生み出すことに気づいたならば、人が人を金と権力で支配する現代社会にNOを突きつけ、今まさに個々に存在することの価値と他者への愛に目覚めることができるのではないでしょうか。

  人は存在するだけで価値があります。だからこそ、他者の存在を尊ぶことができるのです。自分と他者の存在を共に尊ぶことができるならば、人は本来の自由と豊かさを手にすることができるでしょう。

 動物とは異なる、大脳新皮質で文明を気づきあげた人類は、そろそろ次の進化を向かえる時期に来たように思います。
 

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