JAL123便 墜落の謎


 この写真は私が高校2年の時に、羽田の京浜島で撮影した日本航空ボーイング747SR (機体番号JA8119)の写真です。

 1985年8月12日に発生したJAL123便墜落事故における機体です。
 事故が発生した日、私は大阪支社に転勤したばかりで、会社が借り上げたマンションの電灯工事に立ち会い、それが終了した直後にNHKの午後7時のニュースを見てこの事故のことを知りました。NHKの木村太郎さんが落ち着いた口調で冷静に事故の状況を伝えていたのが印象的でした。

 翌日は会社が休みで、近所の中華料理店に出かけた際に、自衛隊のヘリが助かった乗客の方を救助する映像が流されていました。
 私は飛行機が好きで、搭乗した機体の登録番号をメモしておくことが多かったので、墜落したJA8119は私が前月に東京から大阪まで搭乗したJAL101便で使われた同じ機体であることがわかりました。

 その後、当時の運輸省航空局事故調査委員会の事故調査報告書により次のような発表がありました。
 この機体が1978年に大阪伊丹空港で尻もち事故を起こした際に圧力隔壁が破損、その修理ミスにより金属疲労が拡大し圧力隔壁が破壊、機内に急減圧が発生して垂直尾翼を吹き飛ばし、加えて4系統の油圧系統が全て破壊され操縦不能に陥ったというものです。
 

当時は私もこの報告書の中身を信じていました。
それが故に、私が事故の前月に搭乗した際には金属疲労がかなり進んでいたことを想像してゾッとしたものです。

 しかしその後フリージャーナリストの角田四郎氏をはじめとする方々の著作により事故調査報告書への疑問が次々と提示され、この事故に対する自分の見方が変わった次第です。
 多くの著作が論じている、自衛隊の仮想標的機をはじめとる何らかの物体が垂直尾翼に衝突したことの真偽はさておくとしても、垂直尾翼を吹き飛ばすほどの急減圧(事故調の報告書によると約30万フィート毎分)があったのにも関わらず、何故乗客の方々が吹き飛ばされなかったのか、それどころかシートのヘッドレストカバーすら剥がれなかったことに大きな疑問を感じざるを得ません。
 

その他、この事故調査報告書への疑問点は数えきれないほどありますが、事故直後に自衛隊の戦闘機が事故現場を撮影、さらに米国海兵隊のヘリコプターが救助に向かったにも関わらず帰還命令が下り、事故現場の特定に多大な時間を要したことも大いに疑問が残るところです。
 墜落直前に現場付近で自衛隊の戦闘機が複数の人によって目撃されていることも謎のままです。
 

近年では、事故調査の重要な鍵を握る機体後部が相模湾沖の海底に沈んでいるところを民放のカメラが撮影したにも関わらず、サルベージもされずに放置したままです。
 

今年もご遺族の方々が慰霊登山をされたとのことですが、この事故の早期の再調査と真相究明を望む次第です。
 

お亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌。

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