臆病者と呼ばれる勇気

 リスボンはヨーロッパ特有の朝霧に包まれる日が少なくありません。そんな日は、飛行機好きの私としては、リスボン国際空港における旅客機の離発着がどうなっているのが気になります。 

 窓の外をみると、エアバスが濃霧の中をお得意の自動着陸システムを駆使して次々とアプローチしてきます。

 
 霧のフライトというと私にも忘れられない経験があります。1998年の6月、ホノルル国際空港を小型機の訓練飛行で出発したときのことです。緊急事態の訓練などが続きかなり疲労が募っていた最終日、オアフ島を軽く一周するフライトに出かけることになりました。出発前にオアフ島の小高い山並みにかかる霧が気になりました。有視界飛行訓練では下界の視界が確保されていることが前提で、雲の上に出られないからです。
 

 同乗予定の教官に「今日の訓練は無理でしょうかね?」と問いかけてみました。教官は「大丈夫でしょう。予定通りオアフ島を一周しましょう。」とのことだったので、ホノルル国際空港4L滑走路をいつものように離陸しました。訓練生として機長席に着座した私が離陸滑走から操縦を担当しました。教官と私を乗せたパイパー・アーチャーⅡは上昇、右旋回の後、ワイキキビーチを下に見て、ダイヤモンドヘッドの南を通過、そこから左旋回しながらワイマナロビーチ付近に近づきました。訓練でよく使う2000フィート(600メートル)で水平飛行に移りました。

 やはり教官の予想通り、天候は問題ない、のんびりと島一周のフライトを楽しめると思っていた矢先、右手の海上からすっと霧が立ち込めてきました。そしてみるみる前方の視界を塞ぎ始めたのです。教官と一瞬顔を見合わせた。 教官が透かさず「I have control」とコール、私が「Your have control」と応答して、操縦を交代しました。


 霧の切れ目から地上がわずかに見えました。こんな時に下界を確かめようと高度を下げることは禁物です。標高の高い地点にぶつかる可能性があるからです。前方窓からわずかに見える地上の景色を頼りにしばらく飛ぶと、カネオヘ湾の海軍基地の滑走路が見えました。場合によってはそこに緊急着陸と思いましたが、教官はまだ決断せず、わずかな視界を頼りに飛行を続けていました。私は正直ここれは駄目かなと心の中は不安で一杯でした。しかし不思議なことに、万一遭難して死ぬことの恐怖よりも、遭難したら明日の朝刊にどんな風に記事が掲載されるのだろうかとの考えが頭の中を行き来していたのが、今でも不思議です。ついでに、海上への不時着だけは避けたいと思いました。何故なら、飛行機仲間より米軍の到着より鮫の到着の方が早いと脅かされていたからです。教官は経路を逆戻りして霧をかわすか、ホノルルのコントローラーにレーダー誘導をリクエストすることを考えていたようですが、私の方は知識も経験も少なく、緊急着陸で頭が一杯だったのです。

 オアフ島は太平洋戦争時代の滑走路跡が残っている地域があり、左の窓から丘の上にでこぼこの滑走路跡があるのを見つけることができました。ホノルル国際空港は旅客機と米軍機がひっきりになしに離着陸する世界有数の大空港で、そこで訓練をすることは都会のど真ん中で自動車教習を受けるようなものでやりがいがあります。その一方で、空港を離れるとパイナップル畑、ゴルフ場、砂浜など、軽飛行機が不時着するには格好の場所に恵まれているのです。前の日も、エンジン停止を想定して空港周辺で不時着を想定した訓練をしたばかりでした。


  ほとんど外が見えないまま何分かが経過しました。恐らくポリネシア文化センター上空付近あたりだと思ういますが、今まで前方の視界を塞いでいた霧が急速に解消していったのです。そして何事もなかったかのようにいつもののんびりとした島一周フライトに戻ったのです。


 翌朝、教官がホノルル国際空港まで見送りに来てくれました。昨日のことはお互い沈黙の中で言葉を交わし、再会を約束して笑顔で別れを惜しみました。私を乗せたボーイング747−200Bは滑走路08Rを離陸、機窓左下にダイヤモンドヘッドが流れ、カウアイ島の上空に向かって機速を増してゆきます。成田到着後、当時日本で操縦指導を受けていた日本航空の機長に電話しました。彼はちょうどフライトのために成田に向かうハイヤーの中でした。「いやー、ちょっと怖い思いをしましてね、・・・」と切り出したところ、「それはいい経験をしたね。ところで霧はどっちの方向から来た?」と明るく返され拍子抜けしたのを覚えています。


 その瞬間、まだまだ己の経験と心構えが足りないことを痛感した。何れにしても、天候不良で迷ったら、特にプライベートパイロットは出発を見合わせた方が無難、万一視界不良に陥ったことを考えると計器飛行の資格くらいはとっておいた方がいいことを痛感した次第です。


 日本航空の2代目社長松尾静磨氏の「臆病者と言われる勇気をもて」は、フライト以外においても人生の命運を決することがあることを、今改めて肝に命じる次第です。


 写真は後年、家内とオアフ島一周フライトをのんびり楽しんだときのものです。

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