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リスボンで幸福について考えたこと

  写真は拙宅から徒歩5分くらいのところにある、ベレンの塔公園で見かけた栗の屋台です。小さなトラックがこの屋台を牽引してきて、昼間は女性ふたりが交代で番をしています。
 
 もう半世紀以上前に、欧州製のミニカーを通して知った素朴な光景がまだ続いていることに驚きます。
 
  公園の中では、他にパイナップルジュースの屋台や、ワインの屋台などが見られます。私が子供だった頃に東京の街角で見かけた、焼き芋の屋台を思い出しました。
  観光客が激減したので、果たして一日の売り上げはどれほどのものでしょうか。それでも毎日出会うサングラス売りの初老の男性に挨拶すると、満面の笑顔を返してきてくれて本当に幸せそうです。

  日本に比べてはるかに娯楽や歓楽街が少ない分、リスボンの人たちはスポーツでの体力作りに勤しんだり、公園を犬と散策したりと、自然と交流する時間が多いように思います。

  私自身は日本に住んでいた時には何らかの消費をすることで、漠然とした退屈を紛らわせていたことに改めて気づきました。同時にリスボンに住むようになってから人の幸せとは何か、生と死とは何かについてより深く考える習慣がついたように思います。
  学生の頃に小論文で幸せとは何かについて書いたことがあります。内容は足るを知ることが幸せであるというような趣旨だったと思います。
  
 その後にある僧侶の方から、どのようなことにもけっして揺らぐことのない安穏な境界、それが幸福だと教えられました。

  確かに、どんな状況でも心が安定していれば常に幸福感に浸ることができるかもしれません。しかし人の生き様としてそれだけで良いのか、少々納得ができない時期が続きました。そして次に出会ったのが名著「夜と霧」を書いたヴィクトル・E・フランクルの「自分が人生に何を求めるかではなく、人生が自分に何を求めているかを知った時、人は幸福の極みに達し、死を恐れなくなる」という考え方です。

  自分が人生に何かを求めているうちは、知らないうちに欲望が膨らみ、うまくいかない時は不平不満に陥り、いずれ迎えなくてはならない死から目を背けるのではないでしょうか。
  
  死を意識するからこそ生がより輝くというのは、フランクルの説く「生はいまや、与えられたものではなく、課せられたものであるように思われます。」という言葉と重なります。

 私はフランクルが語る、それまでとは正反対の考え方により、自由を求めることの不自由さと、成功や自己実現に向かうことへのある種息苦しさから解放された思いになりました。

 フランクルの思想に触れたのち、私にとって最も偉大な師のひとり故倉石五郎先生が授業中に話された言葉を思い出しました。高校2年のドイツ語の授業でのことです。

「やるべきときにやるべきことをする。これが人間の幸福というものです。ご褒美を求めて何かをしてはいけません。」
 
  真の意味で満たされていない心を消費や娯楽、仕事の充実感、それに連なる成功体験で埋めようとしても、それは永遠に終わらない虚しい葛藤の連続であり、暇つぶしの人生ではないかと感じています。

  かつて知った哲学者マルティン・ハイデガーの退屈論は、それまで目を背けていた退屈ということについて、私に新しい知見を与えてくれました。

  ハイデガーによると、人には3つの退屈があるそうです。一つ目は田舎の駅のホームで列車を1時間待つような退屈。2つ目は仕事をしていたら誰かからパーティーの誘いがあり仕事を中断して出席し、再び仕事に戻ってきたときにあれも一種の退屈だったと気づくような退屈、そして3つ目が休みの日に何もすることがなくて、ふらっと街に出てウインドウショッピングをするような退屈。ハイデガーはこの3つ目の退屈に向き合うことの重要さを説いています。

  毎朝柴犬を連れてベレンの塔公園を散歩します。犬がトコトコと階段を上る姿を見ていると、この犬は飼い主である私が許可する範囲でしか生涯行動することができないことに気づきます。飼い主のいないカモメも、自然環境という器の中から出ることはできませんし、餌は自分で確保しなくてはなりません。彼らはこの制限された生き様の中で幸福や自由を感じているのでしょうか。

  しかしよく考えてみると、幸福や自由は人が作り出した言葉に規定される概念であり、動物は本能的に死への恐れはあっても、人が思う幸福か否か、自由か否かという尺度は持っていないと思います。与えられた環境を受け入れその時々で対峙するその潔い生き様に感動さざるを得ません。

 人が人生から何を求められているのかに気づき行動するとき、動物とは唯一異なる反応が大脳新皮質による思考と自ら生み出した文明による環境への働きかけと言えます。その一方で大脳新皮質による思考と文明で人は苦しみ、動物にはない苦悩を生み出しているわけですから皮肉なものです。

 テジョ川の付近で夕陽や星空を眺めることがあります。首都とはいえ東京より遥かに夜間の照明が少なく空気が澄んでいるリスボンでは月や星々がよりくっきりと見えます。そんな時、東京の夜空ではあまり意識することのなかった、宇宙の存在を間近に感じるのです。地球の表面で大気の層だけを介して自分の身体が宇宙空間に直に接していることをより強く意識します。東京では宇宙をこれほど近く感じませんでした。

 人生は自分に何を求めているかを考えるようになってから、己の宿命や運命による呪縛や死への恐れから解放され、やがて宇宙と蜜実一体になることにより真の自由と喜びを得られるのではないかと密かに考えている毎日です。

 私がリスボンに来た意味は、異文化に触れることや生活習慣の違いを知ることだけでなく、人の生と死の不思議、幸福とは何か、そして宇宙の壮大さを感じることにあったように思います。

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