道具と生き、道具と旅する(1)ワーキングデスク

社会人になって初めて手にした机は北欧製だった。多分スウェーデンの製品だったと思う。銀座の伊東屋で購入した。
26歳まで、小学校5年以来のいわゆる勉強机を使っていたため、横長でモダンな白い机は新鮮だった。
ところが使ってみてすぐに気づいたことがある。作業するのに奥行きがやや不足していた点だ。
それ以来、仕事机は横幅だけでなく、奥行きも重視するようになった。
東京の自宅で使った机は先ほどの北欧製のに始まり、会社で廃棄処分になったデザイン机、そして最後は無印良品のダイニングテーブル。最初の北欧製以外はいずれも奥行きが広かった。
かつて所属していた会社の机は入社以来典型的な小さな事務机だったが、2003年に会社が新社屋に移り新しくなった。横180センチ、縦90センチで大きさは申し分なかったが、昔と違うのは大型のモニターとキーボードが少なからぬスペースを占有するようになった点だ。
それは自宅も一緒で、パソコンの普及で机の有効面積や使い勝手は大きく変わった。先日イタリアの家具メーカーを訪問した際に、薄型テレビの登場が家具のデザインに大きな影響を与えたという話を聞いたが、パソコンとOA機器の登場で仕事机と周辺のレイアウトは大きく変化した。
写真はリスボンで購入した小学校1年から数えると通算6個目の机だが、このままパソコンを置かずに広々として使えればどんなに気持ちいいかを想像してしまう。
その一方で、パソコンの登場で仕事の場所を選ばなくなった、すなわち机がなくても仕事ができるようになった点は喜ばしことである。私自身、喫茶店や移動する乗り物の中でパソコンに向かうことは多かった。自宅の机に向かうよりも、喫茶店の制限された空間の方がかえって集中できることも多い。
パソコン、OA機器もいずれは身にまというスタイルになり、さらに場所の制約はなくなるのであろう。そうした時代の進歩の中で、最近見直しているのは手書きの大切さである。
人類はパソコンが登場する前の長い間、自分の手で文字を書き記し、読み、記憶する習慣を身につけてきた。近年の研究ではこうした後天的な情報もDNAによって脳に書き込まれているのだという。そうなると、手書きによる脳へのインプットはまだまだ重視せねばならない。キーボードの利用によって億劫になった手書きを、復権させねばならぬと思っている昨今である。
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