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日本で世界でどう生きるか (26)   若者のコミュニケーション能力について 

 このところ、日本の若者のコミュニケーション能力の著しい低下を感じている。 普段一番多く接するサービス業やユーザーサポート窓口において、こちらの質問に答えるのではなく、あらかじめ用意された、あるいは自分が言いたいことを回答してくるケースにしばしば出会う。  会話だけでなく読解力についても然りである。文章の中に2箇所以上の係り言葉があると、その関係性が理解できない若者が増えていると聞く。それも大学生レベルにおいてである。メールでの問い合わせにも見当違いの返事が来ることがしばしばだ。同じくこちらの質問の真意を理解していないままの独りよがりの回答にしばしば出会う。  

 ひところは、敬語の類が目立ったのだが、近頃はかなり根本的なコミュニケーション能力の欠如に気づくことしばしばである。  色々な原因があると思うが、私が想像するのは活字離れとインターネットにおけるぞんざいな会話のやり取り、そして若者同士の議論の少なさではないかと思っている。     若い頃に読んだ本を読み返すと、活字の小ささのみならず、随分と難解な文章を読んでいたものだと思うことがある。還暦を越えた今、若い頃に比べて根気が続かなくなったこともあるだろう。それだけに、今の若者が若いうちから長い文脈、難解な言い回しを避けているとしたら、その後の人生における人とのコミュニケーションがどうなるかは想像するだけで恐ろしい。人との会話は、1か0か、イエスかノーかだけを伝えるだけのことではない。本来の目的にない余分なことを話したり、言外の意味を感じ取ることで、会話の深みが増し、長期的には文化的な価値や人間的情緒が生み出される。  出版不況と言われて久しいが、それが故に大きな活字、薄いページ数、読みやすい文体、購買力をそそるタイトルと表紙作りに出版社は力を入れているそうである。ビジネス書、自己啓発書が平積みに店頭に並ぶ風景は、我々の世代が親しんだ書店の風景と一変した。街の書店の激減も大きく影響しているのではないか。  

 ところでインターネットを土台にしたコミュニケーションツールでやり取りされる若者の会話を見るにつけ、語彙や言い回しの貧困さに愕然とする。   最近英語のscreenshotのことを、「スクショ」と略すことを初て知った。恐らくネイティブの発音を模したものではなく、カタカナの「スクリーンショット」を縮めたものと想像する。何年か前にcollaborationをコラボと略すのを知った際に、生理的とも言える違和感を感じたが、今回も同様である。当時たまたまフランスの耳鼻咽喉科医師のアルフレッド・トマティス博士の主催する言語教室に通っていた際に、日本の若者が日本語の長いセンテンスを嫌う傾向に陥っていることを聞いた。その際の講師の見解は、日本の若者が日本語に対して何らか理由で逃避する心と、その反動が異様なまでの英会話熱に向かっているのではないかとの見解だった。  

 言葉が時代とともに移り変わることは当たり前とは言え、言語という人間だけが操れる道具がその本来持ちうる潜在的な力を失ってゆくのは耐え難いことだと思う。  さらにもう一つ、最近の若者は周囲との摩擦を特に嫌う傾向にあるという。私の時代は友人と徹底的に議論をした。その挙句に喧嘩になることもあった。仲が良いことは結構なことだが、議論による創造や相互理解を避ける傾向の今日、社会の構成員としてのあり方として議論を避けるのはどうかと思う。  もう10年くらい前になるだろうか、若者文化に詳しい大手広告代理店に勤める友人と話をしたことがある。彼が言うには、例えば若者が東京から名古屋に旅したとする。そのことに関してツイッターで駅弁の話をするのはいいが、名古屋市政の話はご法度だと言う。要は難しい話をすると仲間外れにあうと言うのだ。小学生が徒競走で手をつないで同時にゴールするご時世だけに、かつては驚くようなこんな事態も起こりうるのであろう。  こうした「仲良しクラブ」然とした、現代の若者たちが、苦境の際に真の友情や助け合いの精神を発揮できるのかと言う疑問は常につきまとう。  数年前に、若者が音楽で集う席で、私と同年輩の人が体調を崩して倒れた際の出来事である。それまではその人を音楽的才能で崇め奉っていた若者が、一斉に無視したのには驚いた。私と家内ですぐに介抱して、ご自宅まで送り届けたことの記憶はいまだに忘れられない。  

 コミュニケーション能力の低下は、集団生活における人とのつながりとも密接に連動していることを感じた次第である。  ところで私はメディアにおける言葉の氾濫も危惧している。例えばここ数年で広まった「忖度」と言う言葉。この言葉が広がるきっかけを作った出来事を越えて、言葉だけがひとり歩きしたことが、問題提起の本質を覆い隠してしまったかのような印象を受ける。「外交の安倍」、「アベノミクス」も然りである。中身の伴わないものに対して、メディアがさも中身があるかのような広報をしてしまった感が強い。「小泉劇場」に至っては、いまだに意味不明である。  タダ働きのことを何故「サービス残業」とまで美化するのか、事実上の売春行為を何故援助交際と呼ぶのか、私は漢字の読めない総理と閣僚の登場と共に、若者のコミュニケーション能力の低下と方向性を失った言葉の独り歩きに、我が国の崩壊の兆しを感じるのである。

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