リスボンに暮らす(3) ポルトガルの人と言語

ポルトガルではポルトガル語が母国語だが、リスボンでは若い世代を中心に英語人口が増えている。従って英語が通じれば生活には困らない。もちろんポルトガル語しか話さない人も少なくない。市内のホテルやスーパー、レストランなどではほぼ英語が通じるが、工事に来る職人さんやハウスキーピングの人たちなどは全く英語が出来ない人も多い。しかしお互い人間同士、言葉を超えて何とかなるものだと痛感している。それでも最小限のポルトガル語ができた方が便利である。
日本で売られているポルトガル語会話の書籍のほとんどが、ブラジルで話されている南米ポルトガル語である。本国のポルトガル語の書籍は意外と少ない。今のところ大昔に買ったままになっていたリンガフォンと数冊の参考書が私の教材である。わずかにかじった程度のフランス語、スペイン語、イタリア語に比べると、私にとってポルトガル語の音は少々手強いという印象である。
ポルトガルはかつての植民地ブラジルからの移民が最大の移民コミュニティを形成している。ブラジルのポルトガル語は本国のそれに比べて発音など随分異なるようだが、入国して5ヶ月の私にはその違いがさっぱりわからない。現地の人によると、ポルトガルの人は早口で、ブラジルから来た人がそれにびっくりするとのことである。確かに英語を話す際も、アップテンポである。
移民と言えば、ブラジルからの移民に次いで多いのがフランス人、中国人である。ポルトガルはヨーロッパ人に最も人気のある移住先だが、気候が温暖、治安が良い、食事が美味しいなどの理由の他に、英国人やフランス人は高い税金を回避する目的もあるようだ。税金だけでなく、物価が高いヨーロッパの中において断然物価が安くて生活しやすい。特にパリは香港やシンガポールと並ぶほどの物価高である。しかしその中でも現地の人たちが強調するのはポルトガルの治安の良さである。世界平和度指数においても2018年はアイスランド、ニュージーランド、オーストリアに次いで4位である。私も42年前からヨーロッパをしばしば訪れているが、ヨーロッパ全体が比較的治安は良いと言えるものの、やはり東京に比べて多少の緊張感を感じながら旅してきたものである。ところがリスボンでは街を歩く際の緊張感をほとんど感じない言っていい。もちろん観光地や路面電車などでスリなどの犯罪は起きるので常に気をつけてはいるものの、生活全般に渡るトータルな安心感は東京以上である。
そして何と言っても人々が驚くほど親切である。最初は旅行者だからかと思ったが、そうではないことが段々とわかってきた。そして少なくとも自分の周囲で人種差別を感じたことは皆無である。人種差別がポルトガル全土で全くないというわけではない。3月にジャマイカ地区と呼ばれる低所得地域で警官が黒人に暴力を振るう事件があり、これをきっかけに人種差別に抗議する100人規模のデモがあった。しかし私個人としてはこれも極めて特殊な事例と考えている。先日現地の人と人種について話をしたところ、ヨーロッパの中でも古い時期に海外に乗り出し、白人と言えどもやや褐色の肌の多いポルトガル人は多民族、他人種に対する抵抗が極めて薄いのだと説明していた。先日乗ったUberのドライバーもポルトガルの良い点の一つに人種差別がないことだと話していた。長年こちらに滞在している日本人の方も、外国人嫌いな人はわずかにいても露骨に差別意識を表すことはまずないという。
少々不思議なのは、現地の人が私のことを最初から日本人だとわかるケースがほとんどだという点だ。中国人や韓国人と間違えられるかと思いきや、一度だけ中国語で挨拶された以外は、すぐに日本人だと気づくのだ。ありがたいことに、先人の努力のおかげで私が日本人だとわかると、一段と親しみを持って接してくれる。そのほとんどが日本の自動車や家電製品をはじめとする技術力を尊敬してのことだと思うが、若い世代はファミコンやアニメを通して日本を知ったようである。こうした体験をすると、トヨタ、ホンダ、松下、日本電気、日立、東芝、ソニー、キャノン、ニコンを始め、今日の技術大国日本の礎を築いた技術者、経営者の方々に敬意を表さざるをえない。
なお日本語の「ありがとう」がポルトガル語のObrigado(ありがとう)に由来するものと信じているポルトガル人が多いのに驚く。「ポルトガル人は日本に12の言葉を伝えた。」とまことしやかに話すUBERのドライバーの言葉にはびっくりした。現地の人がこんな話をした際には、反論せずに黙って聞いておくことにしている。しかしあまりに多いので、先日ある人に間違った風聞であることを伝えてところ拍子抜けしたような顔をしていた。
ところで、先日知り合いのポルトガル人から、日本語の「あっ、そう!」という発音が、ドイツ語の「also」に聞こえてびっくりしたという話を聞いた。かつて「空耳アワー」という番組があったが、環境と聴覚についての知見を得たようで新鮮な思いがした。ドイツ語と言えば、ドイツ語の「kaufen」と日本語の「買う」の語源が同じでないかという説を聞いたことがある。
リスボンの人はこちらが恐縮してしまうほど親切である。他者への関心が強いのだと思う。誰も助けてくれないだろうと思うような時でも、必ずと言っていいほど誰かが近寄ってきて助けてくれる。特に相手がポルトガル語しか話せずに困っていると、英語が話せる人が名乗り出て通訳をかって出てくれる。「英語がうまくなくてごめんなさい。」と言われることも多いが、本来はこちらが「ポルトガル語を話せなくてごめんなさい。」と言うべきなので恐縮してしまうことしばしばである。
あえて困ったことと言えば、時間にルーズな人に時々出会ったり、仕事のつめが少々甘く感じる時がある。しかし日本だと間違いなく腹がたつ状況でも、その人柄のせいか許せてしまう。リスボンでの生活が長い日本人の方も、この地で心根が良くない人、意地悪な人に出会う事は滅多になかったとのことである。
郷にいれば郷に従えと言う言葉があるが、時間にルーズなのは良くないので、相手が時間に遅れた際は必ず指摘するようにしている。こんな時でも相手は言い訳をせずに素直に間違いを認め、この間などは私の目の前で陳謝して、次の約束の日時を自分の携帯のアラームにセットして何度も確認する人もいた。ラテン系の人の特徴で、やはりのんびりとして細かいことにはあまりこだわらないのだろうが、その一方で生真面目で一生懸命に物事に取り組む姿が、多少のルーズさを許せてしまうのではないかという気がしてきた。
ポルトガル人の優しさと知性に触れた数ヶ月、私は日本人としてのアイデンティティをしっかり維持しつつ、現地の文化や生活習慣、そして言語を理解することの重要さを学んだ。
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