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日本で世界でどう生きるか(5)

私が畏れ多くも自分の人生において最も関心のあるテーマは生命現象と時間である。前頭前野が発達した人類が、いかに崇高な抽象的思想を紡ぎだしたか、その一方でなぜこれほどまでに愚かとも言える行為を繰り返すのか。その恐ろしく複雑な人間の意識の源である生命現象がどこから発生し、その実相は何なのか。そして曖昧な記憶の中にしかない自分の過去は、厳密な意味で実在したと言えるのか。そもそも相対性理論以降は空間と等価になった離散的で方向性のない時間は、厳密な意味で存在すると言っていいのだろうか。

このように生命現象や時間について思索する中で、私が到達したいのは認知科学や量子論あるいは哲学における実存主義といった人間の外からの認識ではなく、内なる自分の意識や存在感に対する明快な答えであることに気づく。その根底にあるのはデカルトの「我思う、故に我在り」(Cogito ergo sum)なる命題であったり、若き日の西尾幹二氏が「ヨーロッパの個人主義」の中で語るすべてのものを懐疑する(De omnibus dubitandum)、すなわち方法的懐疑によるところが大きい。

 しかしこの意識というものを、人間という枠内に限定せず、あらゆる生命現象に当てはめた場合どうなるかということに、私は最も関心がある。それは犬、猿といった哺乳類のみならず、微生物のレベルに到るまで意識と生命現象に対する明快な解が欲しいのである。しかしながら、その解そのものが意識の内側にあるとするならば、自分の顔を自分で見ることができないのと同じく、問いかけそのものに矛盾が生じてくる。そうなると、自分の意識状態を拡大すること以外に、単なる説明以外の解を求めるのは不可能ではないかと思えてくる。未だ科学では完全に解き明かされてはいない時間についても然りである。

高い意識状態は個人的には深い瞑想などで到達しうるのだろうが、その一方で日々の生活の中で方法的懐疑を生かすことも、自身の社会性を全うする上で重要だと考えている。

私が若い頃に大きな影響を受けた前出の西尾幹二氏の「ヨーロッパの個人主義」から以下その一節を抜粋する。

「読者に問う――人は自由という思想に耐えられるか――私のこのささやかにして、かつ本質的な懐疑は、いうまでもなく、美しいことばで自由をはなばなしく歌い上げるわが日本の精神風土への抵抗のしるしであり、身をもってした批判の声である。それを読者がどう受けとめ、どう理解し、どのように自分の生き方のなかに反映させるかは、すでに読者の問題であろう。が、この一片の書は、解説でもなければ、啓蒙でもなく、このささやかな本のなかに、私の日常の生き方、感じ方、考え方と関わりのないことは、ただの1行も書かれていないことだけは確認しておこう。なぜなら、文明や社会の立場から人間を考えるのではなく、人間の立場から文明や社会を考えたいということが、私のいいたいことの基本的考え方のすべてをつくしているからである。」

人間の存在そのものについての探求や思索が傍に置かれたまま、人間の外への探求や幻想があまりに肥大化し過ぎたのが近代と言える。

梅原猛氏は書評の中で、「何よりも空想的な理念で動かされている日本社会の危険の警告書」と本書を語っている。この本の出版から半世紀が経過する現代、日本社会は未だ空想的な理念の醸成に翻弄され続けているように思う。

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