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日本で世界でどう生きるか(10)

 映画好きの母に連れられて、幼い頃から洋画に親しんだことが、私の海外への憧れを加速したことは間違いない。今に比べると外国は日本からはるか遠いところにあった。スクリーンを通じて見る外国は私にとって憧れの別世界だった。1960年代の中頃、父が出張や駐在で北米に旅立つ際に、羽田空港に見送りに行くことは、映画とともに私の海外への憧れをさらに強いものにした。海外旅行が自由化される前の羽田空港国際線は、出国手続きに向かう通路に真っ赤な絨毯が引かれ、見送り風景たるや華々しいものだった。ロビーでの胴あげや、タラップの上でハンカチを振る人の姿が普通に見られた時代である。当時は外国と言えばアメリカ、南の島と言えばハワイというのが多くの日本人の共通認識だった。

その後私にとっての憧れの海外が、アメリカからヨーロッパに移っていった。ちょうど小学校6年になった頃である。洋画の影響に加えて、小学校の社会科の授業で知るパリやローマ、そしてクラスにいた帰国子女の同級生から聞く話に心がときめいた。中学生になる頃、鉄道の趣味が飛行機に移行し、羽田空港に通いつめた。ちょうどジャンボジェット機が就航した頃で、最初はアメリカから、続いてヨーロッパから巨人機が飛来した。そしてついに自分がジャンボジェット機でヨーロッパに飛び立つことができたのは20歳の時。成田空港が開港する前の年、まさに旧東京国際空港最後の年だった。

北極周りのヨーロッパ線。今の若い方に北極経由でヨーロッパに飛ぶと言っても何のことかわからないかもしれないが、当時は旅客機の航続距離の関係で、アラスカのアンカレッジで給油して北極上空を飛行してヨーロッパに向かう便があったのだ。ニューヨーク行きもアラスカで給油した。現在でもヨーロッパ行きの貨物便で、片道をこのルートを使う航空会社があるそうだ。羽田を21時から22時30分くらいに出発、アンカレッジに現地時間の午前中に到着、約1時間の滞在の後に北極上空を通過して早朝のヨーロッパに到着する。アンカレッジを飛び立った後はずっと白夜のフライトで、ルートによって極点上空かややグリーンランド寄りを飛行する。私を乗せたエールフランス273便は、朝もやの立ち込めるパリ・シャルルドゴール空港に舞い降りた。
これは私の海外旅行の始まりであり、また映画で見た世界の追体験の始まりでもあった。

子供の頃から見てきたパリを舞台にした映画と言えば数え始めたら際がない。私が生まれた年に封切りされた「昼下がりの情事」、60年代に入って「シャレード」、「男と女」、「冒険者たち」、私が生まれる前の映画「死刑台のエレベーター」は何回見たことか・・・・・。
そして映画と共に欠かせないのがスクリーン・ミュージックである。ジョン・バリー、ヘンリー・マシーニ、フランシス・レイなど、最初にスクリーン・ミュージックを聞き後から映画を見たケースもある。映画のシーンと背景の音楽は切り離せない関係にあるものの、映像と音楽はそれぞれが独立して私の頭の中で再生され、また新しい世界を作り出すことがある。とりわけ最初に音楽を聞いたケースはその想像力は際限なく自在に広がった。

そのひとつがヘンリーマンシーニによる「ナタリーの朝」のサウンドトラックである。中学1年の時に聞いた時に想像の中に現れた景色は、どういうわけか紅海沿岸である。紅海沿岸を舞台にした洒落た恋愛物語を想像したのである。実際に映画を見たのはその数十年後、舞台は何とニューヨークのブルックリン、恋愛映画には違いないが、実は劣等感に悩む少女が精神的に成長して自立してゆく様をテーマにした映画だった。私の想像の産物である「紅海のナタリー」の映像はリアルに私の頭の中に残りつつ、同時に実際の映画でブルックリンからマンハッタンに向かうフェリーの残像は、美しく私の脳裏に再生されるのである。
映像と並んで、想像力と夢を広げてくれるスクリーンミュージック。私にとってヘンリー・マンシーニは古き良きアメリカのエレガンスそのものである。そしてジョン・バリーは英国そのもの、フランシス・レイはパリのエスプリそのものである。

映画で見た風景は、たまたまその舞台を訪れることもあれば、通り過ぎることもある。中には映画の舞台を探して街中をして歩いたこともある。私が最も多くの回数を観た映画のひとつ、アルフレッド・ヒチコックの「北北西に進路を取れ」(North by Northwest)ではシカゴ市内のシーンを求めて市内のリッツ・カールトンホテル、そして郊外のミッドウエイ空港を訪れてみた。主役のケリー・グラントが空港でチェックインするシーンのあたりを探し歩き、映画を回想した。
一方、行ったことのある場所を後から映画のシーンの中で出会うことがある。例えばフロリダのキーウエストにあるヘミングウエイの家もそのひとつ、訪問した翌年の89年に封切りされた007シリーズ第16作「消されたライセンス」に登場した。私のお気に入りの場所だけに感慨ひとしおだった。

移動の自由を手にし、世界を旅することは素晴らしいことである。しかし世界の多くの人が自分の住む地域から一歩も出ずに生涯を終える。私自身もそれを直接あるいは間接的に見聞きしたことがある。しかし考えてみると、物理的に移動することだけがその人の視野や見聞を広げるための手段なのだろうか。私自身を振り返ってみても、まだ海外旅行に行けなかった頃の方が、はるかに豊かな想像力と真摯なロマンに満ちあふれていたような気がするのである。

人間の偉大なる脳は外界を感取すると共に、物理的移動なくして想像の旅をすることができる。ホーキング博士のように身体的な制限のある中でも、人の頭脳は自分の内側に壮大な宇宙を構築しうるのである。さらに言えば、外界を感取する能力において、人は自分のフィルターやフレームで多くの情報を遮断する。しかも過去の記憶を元に情報を無意識に取捨選択している。したがって見ているようで見ていない状況が生まれ、見えているものも人によって異なるという現象が起きる。

そんな中で顔認証技術やVR(バーチャルリアリティ)技術が近年急速に進歩した。顔認証技術をもってすれば、人間が識別できなレベルで顔を正確に認識し、VRはいながらにして日常では体験し得ないことを体験できる。人間は元々感覚器官を通して外界を認識する。そういう意味において、人の体験する世界というのはすべて脳内で起きているに等しい。VRはそうした脳の特性を利用して、人の脳内世界を拡張しうるのである。

1990年に封切りされたアメリカのSF映画「トータル・リコール」においては人への記憶の植え付け処理により、人の記憶を書き換えるシーンがある。こんな技術が実現すれば、VRで旅をリアルタイムに体験し、記憶の書き換えで旅の思い出が作れることになる。しかし記憶の連鎖で自己のアイデンティティが保持されることを考えると、記憶の書き換えは倫理上問題であろう。

交通機関の発達で人類は移動の自由を獲得した。かつて建築家の黒川紀章氏は、現代の人類をホモ・サピエンスならぬホモ・モーベンス(動民)という言葉で表現した。その次に来るVRを身まとった人類を何と表現すべきか。

VRの進化で人類はいながらにして自由に旅をし、なおかつ交通機関による移動はクラシックでエレガントな旅の手段として残る時代が来るのかも知れない。

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