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【日本で世界でどう生きるか (8)

 小学校5年の時、親に連れられてSF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」をロードショーで見た。今はなき京橋のテアトル東京だったと記憶している。

特撮技術と同時に印象深かったのは、SF映画にクラシック音楽が使われていたことと、登場人物のファッションが当時のSFには似つかわしくないクラシックなものだったことである。数年後に日本でも放映された英国のテレビ映画「謎の円盤UFO」で使われた衣装と比較しても、「2001年」における登場人物の服装は宇宙船のスチュワーデスのユニフォーム以外は極めてオーソドックスなものだった。それもそのはず、「2001年」の衣装を担当したのは英国王室御用達のオートクチュールデザイナー、ハーディ・エイミスだった。ハーディ・エイミス自身、SF映画と紳士服との組み合わせは極めて可能性が低いと思っていたそうである。

 その一方でスチュワーデスのユニフォームは極めて斬新だった。スタンリー・キューブリック監督はハーディ・エイミスの「過去(伝統)への尊敬と未来への展望」という相反するコンセプトの融合に共感したとのことである。

当時小学生だった私にとって、21世紀はまだ遠い未来のことだったが、いつの間にか21世紀が到来しても洋服の基本は60年代と大きく変化することはなかった。特に男性の襟のついたジャケット姿はこのまま当分続くだろう。

今のところ「謎の円盤UFO」のようなコスチュームがファッションのベーシックにはなっていない。その一方でここ数年米国のベンチャー企業のCEOなどが、新製品の発表会の席でTシャツ姿で登場する場面を見かけるようになり、欧米の決まり事文化、ドレスコードの伝統に変化の兆しが見られるようになった。IT系など、社員の平服が当たり前の企業が自由な社風をアピールするためのブランディングでこうした手法を取り入れるのだろうが、私はこうした風潮を全面的に受け入れることに疑問を感じる。ドレスコードは場の雰囲気を乱さないための決まりごとであり、参加者に襟を正すという意味合いがあるからである。「2001年」の公開時に比べれば豊かになっているはずのライフスタイルが、随分貧相になっていることに複雑な思いがする。ホテルのレストランにおいてかつてはジャケット着用が主流だったが、今は襟付きシャツのレベルにまで敷居が下がってきていることに複雑な思いがする。私が幼稚園から小学校に上がる頃の日本の高度成長期、ホテルのみならずデパートに行くにも余所行きと称して男の子はネイビーやグレーのブレザーと革靴を着用させられたものである。当時の旅客機のファーストクラスの写真を見ても、チーフパーサーはブラックタイ、乗客も盛装が当たり前であった。近年ファーストクラスにTシャツと短パン姿で搭乗する芸能人を目撃したが、この人たちは公共の場というものをどう捉えているのでだろうか。大衆化することで万人がより良いサービスの恩恵を受けることは望ましいのだが、人間の営みにおいて美と品格を保つことの努力は怠るべきではないと思う。

さてここまで書いたところで、私は決して男性のスーツ姿を諸手を挙げて礼賛するつもりはないことをお断りしておく。先進国の多くが高緯度帯に属していること、スーツの源流をたどると軍服、それも防寒服に行き着くからである。明らかに高温多湿の夏を過ごす日本人や、亜熱帯の東南アジアの人には向かない服装なのである。日本の和服や亜熱帯諸国の民族衣装がそうした風土から生まれ、その後産業革命を経て機能性や経済性からスーツが徐々にそうした国々に浸透していったのである。

そこで日本における和服が近代どのように変遷してきたかを調べるため京都府立大学生命環境科学研究所の准教授である森理恵博士の論文を紐解いて見た。そもそも和服というのは時代劇に出てくるような華やかな「きもの」だけを指すのではなく、そのほとんどが何度も操り回し、継を当てて雑巾になるまで着たのが庶民の日常着のことを指す。そこでいわゆる現在の華やかな「きもの」の原形をたどると中世の武家にたどり着く。武士が身だしなみを整え派手に着飾ったのは主君のためで、主君はわざと目立たない格好をしたというのが当時の美意識だったとのことである。
和服はその後、使用する生地の量が多く手入れに手間がかかるということから、20世紀前半に生活改善・生活改良の標的となり、贅沢を理由に経済的な洋服に近年その座を譲るのである。

産業革命以降の経済的合理性の探求は、我々に豊かな生活をもたらしつつも、一方で文化的な貧しさをも生み出した気がする。Tシャツ姿で盛装の観客を前にプレゼンするCEO、リゾートウエアとビーチウエアを混同して山間の避暑地を闊歩する若者。現代の若者にとってスポーティな服装とは金ボタンのブレザーではなく、今では何とトレーニングウエアを指していることもあると聞いて驚く。しかしこうした現象は単に経済的合理性だけを理由で発生したものではなく、プライベートとパブリックを識別する基本的感性に始まり、美の探求に終結する社会の成熟度に起因するように思う。私にとって現代の世相は我慢することを教えられなかったお子様向き、決して成熟した大人を満足させるものではないように思う。

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